役に立つかは別として

頭の中にあるゴチャゴチャを出しとけばスッキリするかも

文章のセンスと潜在意識

思いつくままダーッと書くのは気持ちいいんだけど、自分で適切と思う語彙を最初からバシッと出しとくのって難しい……と最近つくづく思う。

だいぶ前のこの記事では最後の方と記事の概要で「潜在意識」とすべきところを「無意識」にしていた。「自分の無意識に諭された」ってなにそれ?これはジョギングしてるときにハッと気づいて家に帰ってから直した。

www.saki-imamura.work

昨日の記事では「どんな困難があろうとやる!」にしたかったところを「どんな難関があろうとやる!」と書いていた。何がどう合わない気がするのか説明できないけど、「難関」の場合は「どんな難関にぶつかってもやる」とか「どんな難関が待ち受けていてもやる」とかで、「があろうとやる」の場合には「困難」だという気がする。「どんな難関があろうと」にする場合は「乗り越える」とか「切り抜ける」じゃないと合わない気がする。

www.saki-imamura.work

とにかく言い間違いみたいなのとはちょっと違うんだよな。だって、書いてすぐに「あっ、間違えた」って思わないもんね。これはどっちかと言うとセンスだよな。

要は普段からきちんと語彙の使い分けができてないってことなんだろう。だからダーッと書いてると自分でも気づかない。一応1回は読み直してから投稿してるけど、ダメだね、全く違和感を感じないでスルーしちゃってるもんね。

 

でもジョギングしてたり、ワンコとお散歩してたりすると突然「あっ!」って気づくんだよな。なんなんだろう、あれは。

潜在意識ではちゃんと違和感を感じてるってことなのかなぁ。そして脳みそがリラックスして潜在意識が出てこられる状態になると顕在意識がその違和感を認識できるってことなのかなぁ。

 

よく「潜在意識を活用して◯◯しよう!」みたいな話あるけどさ、真面目に潜在意識の活用法を学んでおくべきなのかもしれない。

 

それにしても、適切な語彙をテキパキ使う能力がどんどん衰えてしまうのは、断然ネットのせいだと思う。(歳のせいではない、と思いたい。)

「審美眼を養うには普段から本物を見ていないといけない」って言うけどさ、あれだね。きちんとした美しい文章を常日頃読んでないと、自分もまともなものが書けない。

ネットにはテキトーな文章の記事が(このブログも含めて)溢れてるもんね。SNSとかブログとかまとめサイトとかばっか見てるとダメになるよね。

個人的には避けてるけど、英語のニュースサイトを即日翻訳して日本語版で出してるパターン、あれ特にマズイと思う。ひどい日本語でしょう?でもニュース的価値があるからかなり読まれてる。みんな読みにくいとか思わないのかなぁ。

 

文章のセンスと潜在意識かぁ。

これは潜在意識の本を読めってことか?(←違う)