読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

役に立つかは別として

頭の中にあるゴチャゴチャを出しとけばスッキリするかも

頭の中にあるものを言語化し続けた結果

今メインブログはお休みしてるけど、「開設して1年経ちました」ってメールがはてなから来た。

そうかぁ。

 

で、1年やって得たものは何か?って自分で考えてみたんだけど、これはなんと言っても今まで自分でもはっきり見えてなかった自分の価値観とか人生観とかが見えるようになってきたことだと思う。

ああ、あたしの価値観ってこうなんだ、あたしがやりたいことはこれで、やりたくないことはこれなんだ、っていうイメージの解像度がここ1年で一気に上がってきたって感じ。

頭の中にあるものって混沌としてるんだよね。靄がかかっててよく見えない。あるのは確かなんだけど、自分でもあんまり意識できてない。でも、それをなんとか少しずつでも言語化し続けていくと、だんだん靄が晴れてきて見えてくる。そして自分で意識できるようになってくる。

 

10代とか20代の人ってのは大抵まだ自分の価値観を試してたり人生観を形成してる途中だと思う。だからそういう年代の人が他人の意見に左右されちゃったり、やりたいことが分からないって言ってても当然だと思うんだけど、30代や40代の人が自分でどうしたいかわからないって言ってる場合、意外と単に自分の中にあるものが見えてないだけってケースが多いんじゃないかなぁ。何もないわけがないもん。それか、何かあるのは心の底では分かってるのに環境や諸々の事情を理由に無意識に見ないふりしてるか。

 

なんにせよ、自分の考えがだんだんクリアになってきて意識上に出てくるようになってわかったのは、いろいろなことが楽になってくるってこと。

一番大きいのは物事の優先順位。自分にとって何が一番大事かっていうのがはっきりすると、あとはいかに順位が低いものを捨てていって順位が高いものの場所を作るかっていう話になる。それが簡単なことかどうかってのは別としても、とりあえず何をすればいいか分かってるっていうのは強い。

あと、あたしは「へぇー、あたしにも意外とまともな考えがあるんじゃん」って自分に驚いた部分が結構あった。なんかあるのはわかってたけど、取り出して眺めたことがなかったから埃だらけになってて、でも埃を払って見てみたらわりと頑丈で使えそうだった、みたいな。これは自信につながる。

そして、自分の中に何か確固たるものがあると認識できるっていうのは、大きな波が来てもしがみついてやりすごせる岩があることに気づくようなもんだと思う。今までいろんなことに簡単に流されてその度に必死にもとの位置に戻ってくるっていう不毛なことしてたのが、岩につかまってれば流されないからそんな労力が要らなくなる。

 

なんかさ、こういうことを学校で子供に教えるべきなんじゃないか。

自分の価値観を育てて、ピカピカに磨いていつも見えるところに置いておくんだよ、って。

 

しかし書くっていいねぇ。

たまに、かなり前に書いたメインブログの記事に★とかブクマがつくことがある。で、ああ、そういう記事書いたなぁと思いつつ読み直してみたりするんだけど、「一体どこからこんな表現が出てきたんだろう?」とか、「わぁ、これはもう一回書けって言われてもこんなふうには書けないわ」、って自分でも驚くことがある。必死に何か訴えた記事だと特にそう。

そういうとき、ああ、書いておいてよかった、と思う。

 

とりあえずあと1年は続けてみるか。