役に立つかは別として

頭の中にあるゴチャゴチャを出しとけばスッキリするかも

「好き」を仕事にしても好きなようにできなきゃ意味がない

ずーっと忙しくて、考えることはあったけど何もアウトプットできない状態だった。

この年度末ってコンセプト、なんとかならんのかー!

 

まあ、そんなことはどうでもいいや。

 

考えたこと出しとかないと忘れる気がするから、今、時間があるうちに書いとく。

ちょっと前になるけど、こんな記事を読んだ。

www.baconjapan.com

プロ級ではないけどまあそれなりで、用途として成り立つものをお得価格でやってくれる半プロには価値がある、という話。

 

そうなのよねぇ。

 

プロがやらなくても、AIとかクラウドソーシングとかで満たすことができるニーズってすごくある。

翻訳だってそうだ。

ざっくりわかればいい程度のニーズならグーグル翻訳で十分な時代だし、もっと言うと、どうせ斜め読みしかされないスピード命のニュース記事とかは、よく読むと結構ひどい翻訳だけど普通に読まれてるから、とりたてて良いものを求めない風潮は確実に強まっていると思う。

 

あたしは翻訳という仕事が好きだ。

何がどういいのか?と言われると簡単に説明できないんだけど、翻訳って単なる単語の置き換えでは決してなくて、あたしが専門にしてる学術論文でさえ、センスが問われるアート的な部分があるんだよね。

だから、どの単語を選んでどう組み立てるかで出来が大きく変わるんだけど、ブラックボックス化してる自分の脳みそが何を出してくるかに自分でも興味があるというか、たまに自分でも「へぇ~」っていう訳が出てきて驚くというか、作業してると面白い。

 

でも、どんなに自分が翻訳の作業を好きでも、「そこそこの出来でいいんでお得価格でささっとやってください」みたいな案件は楽しくないし、やりたくない。

 

で、思ったんだけど、「好き」を仕事にするって言っても、好きなレベルでできないとダメなんじゃないか。

「好き」を仕事にして上手くいかないケースって、好きなことでも好きなようにできないからなんじゃないか。

 

あたしは今「他の方の訳文のチェックやリライトの案件は受け付けていません」「一定分野以外の案件は受け付けていません」「翻訳メモリやCATツールを使う案件は受け付けていません」「お急ぎ案件には対応できません」「一定以下の単価では対応できません」みたいに我儘を言いたい放題言っても発注が来る状態だけど、これは逆に言ったら、好きなようにできるものだけを選んでも成り立っているから「好き」を仕事にできてるってことなんだろう。

 

ありがたいなぁ。

とりたてて良いものを求めない風潮とスピード命の風潮はこのまま続くと思うけど、とりあえず感謝だ。

 

 

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