役に立つかは別として

頭の中にあるゴチャゴチャを出しとけばスッキリするかも

「好き」を仕事にできても成長できなきゃ続かない

昨日「好き」を仕事にしても好きなようにできなきゃ意味がないって書いたけど、別の記事を読んで別のことも考えていた。

 

読んだのはこの記事。

www.hassy-blog.com

好きなことを「一日中できるか」と「稼げるか」で分類して、一日中できるくらい好きなことで稼げるのならそれは天職、という話。

好きで一日中やっても疲れないことでお金稼げたら、もう普通に暮らしてるだけで収入になると言ってもいいですよね。それって最高じゃないですか。

 

……ええ、最高です。(笑)

一日中やればやっぱり疲れるけど。めっちゃお腹もすくし。

 

でも真面目な話、好きなことをしてるだけで稼げるっていう状態は、続けていけるのであればもう経済的自由と言っていいと思う。極端に言えば、死ぬまで続けられるのなら老後資金なんて要らないんだから。

 

だから「天職」の枠に入ったら、続けられるのかどうかがポイントになると思う。

好きだし稼げることさえ見つければゴールっていう話じゃないんだよね。

やっていくと自分の知識とかスキルが上がっていって「好き」っていう括りの中にも細かい好みやこだわりが生まれてきたり、市場のトレンドや需要の変化によって稼げる度合いも変わってきたりするから、なんにも考えないで同じことしてると知らない間に「天職」の枠から外れてしまうこともある。

 

そして、そもそも人は同じことを同じレベルで続けていくことに生きがいを感じ続けることはできない。

 

昔はあたしも翻訳ならなんでもよかった。なんでもいいからとにかくやりたかった。

でも今は違う。昨日の記事にも書いたけど、めちゃくちゃ我儘を言ってホントにやりたいものしかやってない。

 

どんな側面で挑戦してどこに成長を求めるかも変化してきた。

駆け出しの頃はとりあえず訳漏れ・誤訳なしを目指してたのが、スピードやボリュームに挑戦するようになり、一定レベルでできるようになってからはネイティブ校正者たちからの安定的評価や指名案件数で自分の成長を測るようになった。

今はそれもなくなって、単に納品したときに自己満足感があるかどうかになっている。

 

なんか自分の中では極めたいところは極めてしまっていて、もう成長の余地がないというか、目標になることがほとんどない状態になっている。

翻訳という作業自体は今でも好きだけど、もしかすると今は「ここまで来たんだなぁ」という余韻と「ここまで来たぞ」という余裕を楽しんでいるだけなのかもしれない。

 

 

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