コスモアイル羽咋に行ったついでに
アイソレーションタンクを試してきたんだけど、
そのまたついでに鈴木大拙館にも行ってきた。
数年前に「宗教を理解しないと世界は理解できない」と気づいて宗教について学ぶようになり、その流れで仏教も学んでいる。だから、資料館的な場所でまとめを見学したら理解を深めやすいんじゃないかと思って行った。
鈴木大拙のことはあまり知らなかった。ただ、アメリカで長く暮らしていて海外で仏教の講演もしていたという経歴を見て、英語で思考できる人がどう仏教を説明しているのか知りたい、日本語思考オンリーの人の説明よりむしろあたしにはわかりやすいかも!とは思った。
まあ、例のごとく、期待は裏切られたんだけど。笑
鈴木大拙館は自分で考える場所で、いろいろ教えてくれる場所ではないっす。
展示物も少なくて、彼の写真がループで淡々と表示されるスクリーンとか、ガラスのケースに入った著書*1だとか、あたしの期待に応えてくれるものはなかった。
彼の著作やその他の仏教関連の本が並べてある本棚はあって、自由に読めるように机と椅子もあったけど、ぶっちゃけ本は家でも読めるというか、むしろ家で落ち着いてゆっくり読みたい。
ただ、数少ない展示物の1つに「それはそれとして」と大拙が書いた掛け軸があって、ちょっと吹き出してしまった。ごめん、でも共感しすぎちゃって。
このブログも「役に立つかは別として」だけど、こういう、「それは別として」とか「それは一旦置いといて」みたいな考え方や生き方があたしは好きなんだと思う。悩みとか意義とか、めちゃくちゃ大局的に物事を見たときにどうでもよくなるようなことをバッサリ捨てて「今ココ」にだけとりあえず目を向けて諸々のことに対応する、という姿勢で生きるのが好き。
「それはそれとして」ってたぶんそういうことでしょ?
まさかこんなところで、同じことを思って掛け軸まで書いちゃう爺さんに会うとはねぇ。笑
てか、これ仏教哲学なのねー。
あたしはもともと宗教は好きじゃなくて、法事とかも嫌で仕方ないタイプなんだけど、仏教を学ぶようになってからは、いかに自分のOSに仏教(厳密には禅宗)が組み込まれているか思い知らされることが多い*2。
あと、鈴木大拙館は瞑想するのに最高な場所だった。
実際、水鏡の庭の真ん中に思索空間として作られた場所があるんだけど、あたしはそこに辿り着く手前の、上述の図書室エリアの横の裏庭?みたいなエリアに面してる場所の椅子に惹かれて座ったら、そのまま瞑想みたいな状態に突入してしまい、なんとも気持ちの良い体験をした。
そのあと思索空間にも入ってみたけど、こっちではそういう感じにはならなかったんだよね。なんなんだろう、あれは?

ま、いっか。
これからも「それはそれとして」で生きていくか。