役に立つかは別として

頭の中にあるゴチャゴチャを出しとけばスッキリするかも

呼ばれてなかったインド

最近少し落ち着いてきたけど、ここ1ヶ月くらい怒涛の日々を過ごしていた。

4年前圧迫骨折をした母が転んで大腿骨頸部を骨折し、人工股関節を入れる手術をする羽目になったので。

圧迫骨折以来、母は骨粗鬆症の治療を続けていたけど、骨密度はそんなに素早く改善するものでもなく、毎回医者に「転ばないように気をつけてください」と言われていた。

でも転んでしまった。

事故というのは、いくら気をつけていても起こり得るものなんだなぁと改めて思った。父がいきなり亡くなったときも思ったけど、人生というのは、いつどこで今まで普通にあったものが失われるのか本当に、本当にわからない。

今したいことや今できることは、今、やらなくてはダメだと思う。

ちなみに、母はまだ入院しているけど、手術は無事終わってリハビリに移行している。最終的には杖を使えば歩けるようになるらしい。頑張ってほしい。

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しかし、ここ1ヶ月は本当に怒涛の日々だった。

ちょうどあたしは、母の白内障手術の手配を終えて、2月末のインド旅行の手配を進めつつ、父が使っていた部屋をリフォームする手配もしていたところだった。

でも、インドはとりあえず保留、リフォームは手術日を避けるためリスケ、母の白内障手術に向けての事前検査もリスケせざるを得なくなった。

そしてそんなこんなでバタバタしていたら、近所の人が亡くなった。

こういう時に限って、今年度の地区の班長役はうちだったりするんである。が、そんなことを言っていても仕方ないので、何をどうすればいいのか周りに必死に聞きながら、お通夜やお葬式に出席した。

そのあとは、退院したあとの母のために、介護ベッド*1を入れたりして家の環境を整える手配に追われていた。

現在、リフォームに関しては、業者が入る工程は新しいエアコンの設置を残すだけとなり、家の環境もとりあえずなんとか母でも暮らせるような感じになった。

やれやれ。

でも、大変だった中、周りの人たちには本当に良くしてもらった。リフォームの業者さんたちもリスケしてくれただけではなくて、母のことを気遣う言葉をかけてくれてたし、近所の人たちは母の件だけでなくて班長の仕事の件でも気遣ってくれてたし。

今まであたしはあんまり自分の地域のコミュニティのことを考えたことがなかったんだけど、もう少し真面目にコミュニティに参加していこうと思ったりした。

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とりあえず保留と言っていたインド行きはやめた。

「インドは呼ばれて行くもの」と言うけど、あたしの場合は旅行手配をしている時点から結構「呼ばれてない感」があった。いままでの旅行では、いろいろ調べて手配を進めれば進めるほどワクワクしてきていたのに、インドはどんどん頭が痛くなっていく感じが否めなかったし。

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だから、母が人工関節置換術のために入院した時点で、なんとなく「やっぱりインドには呼ばれてない気がする……」と思っていたんだけど、入院は想定より長引きそうだし、退院後すぐに母を1人にするのは危なそうだから、インドには呼ばれてなかったのだと認めることにした。てか、もうインドには行こうと思わないかもなぁ。インドには縁がないってことなんだろう。

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なんにせよ、人生が計画通りに進まないことにはもうすっかり慣れたし、急な方向転換の楽しみ方もわかってきた。笑

今したいことや今できることを、今、していこうと思う。

*1:寝たきりになるわけではなくて、単に布団はダメと言われただけだけど、今後のためにも電動ベッドの方が良かろうということになった。