今朝、よかよかさんのこの記事を読んで、
そうか、何かができるようになるって要は脳の回線が繋がるってことか!と気づいた。
これはよかよかさんの記事にもコメントしたけど、できなくてもしつこく反復練習しているといつの間にかできるようになっているというのは、例えば語学でも同じだと思う。
あたしはDuolingoを毎日やってるんだけど、たまに「あれ?この単語全然覚えられなかったのに今パッと出てきた!」とか「あっ、考えなくてもこの文法使えるようになってる!」みたいに、できるようになっている自分に突然気がつくことがある。
不思議だなぁ、面白いなぁと思ってたけど、あれは要するにあたしの脳はずっと工事をしていて、それが終了して何かが開通したってことだったのねー。だからタイムラグがあったのか。
そう考えたら、何かを練習するとき、すぐにできるようにならないのは当然だし、毎日練習した方が早くできるようになるのも当たり前じゃん、と思った。だって練習に連動して自分の脳みそがせっせと工事してるんだから。
ある日突然反射的に単語が出てきたり作文できたりするようになるのも、回線が開通したかしてないかの違いだよね。開通するまではいちいち考えないと出てこないものが、開通すると考えなくても出てくるようになる、ということなのでは。しゅごい。
こういう考え方をしていたら、なかなか習得できないことも粘って練習できる気がするし、脳が回線を作りやすいように配慮することもできそう。
あたしは日本語で英語を学ぼうとしてたときになかなか脳の回線が繋がらなかったんだけど、日本語で英語を学ぶことを放棄して英語で英語を学ぶやり方にしたらなんとかなった。あれは図らずも日本語脳と英語脳を繋ぐ基礎工事をやめて独立した英語脳だけを作る設計図になって楽になったからなのかも。
今もスペイン語を学んでるけど、日本語でなくて単語が似ている英語で学んでいるから英語を学んだときよりスムーズに学べている。
原書を読むといいとか、吹き替えじゃなくて字幕で映画やドラマを観るといいとか、シャドーイングをするといいとか、言語を学ぶ方法はいろいろあるけど、ああいうのも、要は自分の脳はどういう回線工事が得意なのかによって選べばいいんだと思う。
好きこそものの上手なれってのも、つまりそういうことだよね。
好き!って脳が反応して点滅してるところに「回線作るぞー」って話が出たら、そりゃあすぐに開通するでしょ。そもそも回線作る気満々なんだし、「これとこれはここで繋ごう!」みたいな判断も早そう。「え…これなに?どこに繋ぐ?…わかんないからとりあえず置いとくか…」みたいなことにならないはず。
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ちなみに、昔々(今確認したら7年前だった)こういうことを書いた。
歳を取ると脳のメモリーが減るから体で記憶するようにするといいっていう本を読んだ、という話。
これさ、要は脳で回線を作ると考えずに反射的にできるようになるってことなんじゃない?回線を作るって、RAMを使わないで自動実行するアプリを作るようなことなのかも。
だって、頭では思い出せないけど手に書かせてみると書ける漢字とか、綴りを言えと言われると困るけど書けと言われれば書ける単語とかない?あれ、漢字・英単語アプリが手に実装されてるっぽくない?笑
もっといろんなアプリを実装した体になりたい。