世の中にはやってみないと分からないことがたくさんある。
例えば、王道と言われる企業勤めを辞めてフリーランスになるとどうなるかとか、家財一式全部処分しちゃうとどうなるかとか、絶食するとどうなるかとか、禿げるとどうなるかとか。
フリーランスになったときは、人生観がガラリと変わった。
こっちにちょっと書いたけど、それはフリーランスにならなかったら絶対得ることができなかった人生観だった。
日本に戻るためにアメリカでの持ち家、家具、車、その他諸々の所有物を全部処分したときは、自分が何も持っていなくても案外大丈夫なんだということに驚いた。
絶食したときは、人間っていうのは2日くらい何も食べなくても全く平気なんだと学んだ。
薬の副作用でじゃんじゃか髪の毛が抜けてウィッグしないと外出できないくらいになったときは、禿げてる人の気持ちがマジで分かった。それまでは「なんでそんなこと気にしてるんだろう、潔く丸めちゃえばいいのに」と心底不思議だったんだけど。
こういうのは全て、人の体験談とか本とか記事とかで学べることだけど、本当に分かるためには自分が体験するしかない。
でも大抵の場合、分からないから体験するのが怖かったりする。
この間の「思考は現実化するということをそもそもどうして信じられるのか」という話にも似ている。
体験しないと分からないんだけど、分からないから体験できない、みたいな。
成り行きとかアクシデントで、不本意ながらでも一回何かを体験すると「実はどうってことはない」と気づいたり、「実はこっちの方がいい」と分かったり、「そうなんだ!」と悟ったりして、その後は自分からすすんで同じことができるようになったりするんだけど、そういうことが起こらない限り、「鶏が先か卵が先か」っていう状態になってしまう。
だから、意識的にやらなきゃいけない。
体験したことがないことを意識的に体験して殻を破らなきゃいけない。たとえ「うー、やりたい、やりたい!」と思えなくても。
……というようなことを、「ああ、時間が足りない」と考えていて思った。
「やりたいかやりたくないか」っていうだけの優先順位付けで生きた方が人生楽しいんじゃないかと思ってたけど、もしかすると実はそれだけでは本当に楽しい人生にならないってことなのかもしれない。だからコンスタントに「ああ、時間が足りない」と思ってるのかも、と。
自分が成長しないと、楽しいことだけじゃ物足りないっていうことなのかもしれない。
むむむ。