今朝、これを読んだ。
moody-theory-sakko.hatenablog.com
「何の得にもならないことに時間やお金や心を使うことは無駄ではなくて、どれも使うほうが良いに決まっている」と言っていて、さらに「時間やお金や心を費やして得るものの価値がコスト面で理にかなっているかと考えるのはどうなのか」と言ってるんだけど、ホント、そうだと思う。
世の中には「何の得にもならないけどやりたいこと」と「何か得られるものがあるからやりたいこと」がある。(何の得にもならないからやりたくないことと、何か得られるものがあるからやりたくないけどやることもあるけど。)
で、たぶん一般的に人は「どうせなら何か得られる方がいいんじゃないか」と思うんだろうけど、あたしはそういう考え方は根本的にズレてると思う。
得られるものがあるかないかとか、得られるものが大きいか小さいかで比較判断するとのは本質的じゃない。
この場合、比較すべきなのは、やりたい気持ちのレベルだ。
得られるものがないにもかかわらずやりたいと思えることは、何か得るものがあるからやりたいと思えることよりも、明らかに重要でしょう?
だから端的に言えば、さっこさんの言う通り、時間もお金も心もごちゃごちゃ考えずに使ったほうがいいに決まっているというわけ。
まあ、破綻して生活できなくなっちゃうとか、社会や周りの人に大迷惑かけるとか、そういうレベルになっちゃうのはもちろん問題だから常識を持ってやるべきだけど。
「時間やお金や心を費やして得るものの価値がコスト面で理にかなっているかという考え」ってのも、なんにでも適用するからおかしな話になるんだと思う。
この考えを適用すべきなのは、何かを得たいと思ってその手段を検討するときにどの手段が時間・お金・心の面で効率的なのか比べるときとかだけなんじゃないか。投資とか。
どうしても得たいものには時間もお金も心も費やして構わない。たとえ何の価値もないように見えても。
じゃなかったら何のために生きてるんだ、って感じでしょ?
難しいのは「どうしても得たいもの」に出会うこと。いつも一番難しいのはここ。
そして一番の無駄遣いというのは「どうしても得たいものがあるのに、時間もお金も心も費やさないという人生」なのだ。人生を無駄遣いしちゃいけない。
自戒をこめて。
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