役に立つかは別として

頭の中にあるゴチャゴチャを出しとけばスッキリするかも

子供の背中を押す何気ない言葉

昨日ネガティブなこと書いたから

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ポジティブなことも書いておく。

あたしの大前提が「日本の大人たちの理不尽さや日本の社会の閉塞感に絶望してアメリカに逃げた」なのは変わらないんだけど、実はそもそも日本を脱出して海外に行くというアイデアを植え付けて、ある意味あたしを助けてくれたのは2人の先生だった、という話。

1人目は中学1年のときの担任で英語担当だった若い男の先生。

今はどの時点で英語教育が始まるのか知らないけど、あたしの時代は中学1年からで、当時は小さい頃から塾で英語を習ってるような子供も周りにいなかったから、英語は全く新しい科目だった。だからだと思うけど、この先生は英語を教え始める前に自分のホームスティ経験を話してきかせ、「英語を学べば異国の人とコミュニケーションできるぞ」的なアピールをした。

「英語を学べば○○できる」理論は当時のあたしには全く刺さらなかった。でも、「ホームスティとやらをすれば、学生身分でも日本脱出は可能」という事例は刺さった。大人になるまで逃げられないと思ってたら逃げれるのか!みたいな。

あたしが留学というアイデアを得たのは、あの日、あの瞬間だったと断言できる。

だったらその後一生懸命英語を勉強したのかと言うと、そうでもなくて、実際英語の成績もたいしたことなかった。なんであのタイミングで必死に英語を勉強し始めなかったのかは自分でもわからない。あの頃は友達と遊んでるのがめちゃくちゃ楽しかったからかなぁ?

2人目は中学2年のときの社会科の先生。こちらは年配の男の人だった。

あたしは特に社会科が好きというわけでもなかったし、授業の内容とかもあんまり覚えてないんだけど、博識で温厚なこの先生のことはわりと好きだったというのは覚えている。

で、ある日この先生が、授業の合間にふとギリシャ旅行をした時の話をしてくれた。

要約すると「ギリシャ語は難解とされていて、何を言っているのかわからないことを『まるでギリシャ語のようだ』と言うくらいだ。だから、先生はギリシャに行ったときに意思疎通ができるか不安だったが、身振り手振りで頑張ったらなんとかなった。言葉が違っても、人というのは分かり合えるものなのだ」という感じの話だった。

今思うと、先生が身振り手振りでした意思疎通ってかなり簡単な内容だったんじゃね?って感じなんだけど、当時のあたしはそれを文字通り受け取って自分の脳みそにインプットした。

たいして英語が得意でもなかったのに、不安ゼロで意気揚々とアメリカに渡ったあたしの根底にあったのはあの先生の言葉だったと言っても過言じゃないと思う。

そして渡米後も、最初は小型の英和辞典と和英辞典を常に持ち歩いて、誰かと話すときには相手に英和で単語を引いてもらって自分では和英で単語を見せてなんとか意思疎通するというありさまだったわりには、特に凹んだりすることもなかった。「まあこんなもんか…」的な楽観があったのは先生のおかげと思う。

てか、楽観してないでもっと英語勉強しろよ!って感じなんだけど。笑

あのときの教え子が、結局25年もアメリカに住んで、最終的には翻訳業までやることになったなんて、彼らが知ったらびっくりするだろう。自分があんな話をしたことすら覚えてないかもしれない。

何気ない言葉が子供の背中を押して支えになることもある。たぶん人が思うよりずっとたくさん。

 

 

 

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