この続き。
黒曜石、縄文土器・土偶を見ることに加えて、もう1つしたかったのは諏訪大社に行くことだった。
古事記にある国譲りの話*1では、
- 国譲りの交渉の最後の手段としてアマテラス(天照大神)がタケミカヅチ(建御雷之男神)を派遣
- タケミカヅチは葦原中国を治めていたオオクニヌシ(大国主命)とその長男であるコトシロヌシ(事代主命)からは国譲りの合意を得るも、次男のタケミナカタ(建御名方命)に抵抗される
- だが、タケミカヅチに勝てなかったタケミナカタは逃走し、諏訪湖まで行くも結局降参、諏訪に留まると約束
というくだりがある。
個人的には、古事記には「後世になって、すでに日本のトップに立っていた弥生系の勢力が自分たちの正当性を示すために編集したプロパガンダ」という側面があると思っている。弥生系は天から稲を携えてやってきた神なんだからね!遡ったって、ちゃんとオオクニヌシのオッケーももらってるし!みたいな主張を正式にしときたかったんだろう、と。実際、天皇は一昔前まで現人神ってことになってたし。
まあそれが正しいのかどうかはとりあえず置いとくとして、タケミナカタが諏訪に逃げて結果的にそこに留まった、というのはなかなか面白いなぁと思ったんだよね。やっぱりタケミナカタは縄文系で、逃げるなら同胞が密集してる縄文銀座だ!と思って諏訪に逃げたんじゃない?だから諏訪の人たちもタケミナカタをかくまったんじゃない?と思ったわけ。
ちょっと違ってたんだけど。笑
諏訪大社の下社春宮と秋宮を訪ね、上社本宮を訪ねたあと、前宮に行く前に神長官守矢史料館に寄ったら、受付にいたおじさん*2が詳しく説明してくれた。
彼によると、諏訪の人たちはタケミナカタが攻めてきたと思ったんだそう。それで、諏訪を治めていた守矢神(=守矢氏が祀っていて降ろしてくるミシャグジ)がタケミナカタと戦ったんだけど、さすがにオオクニヌシの息子であるタケミナカタには敵わず降参。でもタケミナカタはすぐに守矢神を認めて神長官にしたので、タケミナカタを神長官の守矢氏が祀る形ができたということらしい。
そっか、そりゃそうだよね、たとえタケミナカタが縄文色が強い地域を選んで逃げてたとしても、諏訪の人たちからしたら「誰、こいつ?何しに来たの?」だろうね。
でも面白かったのは、守矢神とタケミナカタの戦い方。おじさんによると、2柱は武力じゃなくて呪文で戦ったんだそう。で、思わずあたしが「呪文??」と聞き返したら、「まあ、神様のすることですからねぇ、私にはわかりません」と言っていた。笑
いやそれ、もしかすると戦ってたんじゃなくて会談してたんでは?しらんけど。
耳に切れ目が入ってる鹿は神様に出会って印をつけられた鹿なんだそう(左)
……てことで、思ってたのとちょっと違ったけど、なかなか興味深かった。神長官守矢史料館は、受付のおじさんに話しかけて説明してもらうのがオススメ。
あと、興味深いと言えば、これは諏訪大社に行って御柱を見てから気づいたんだけど、御柱って、青森の三内丸山遺跡に行ったときに見た6本柱建物跡を連想させるね!
6本と4本じゃ数が違うし、諏訪大社では境内の四隅に立ててるから、6本並べて立ててる三内丸山遺跡とは全然違うと言えば違うんだけど、「人々が協力して人力で巨木を降ろしてきて立てる」っていう点では、なんか繋がっているものがある気がする。
実はあたしは人が危険なことをするのを見るのがとても苦手で、御柱祭の映像を見せられても「ぎゃー、やめてやめてやめて!」と目を瞑ってしまう人なので、今回諏訪大社の近くに「おんばしら館 よいさ」という御柱祭について学べる施設があることは知っていたけど行かなかった。
でも、御柱祭について学んだら縄文人が立ててた巨木についてのヒントがあるかもなぁと思った。次回諏訪に行くときはおんばしら館にも行こっと。