役に立つかは別として

頭の中にあるゴチャゴチャを出しとけばスッキリするかも

自由の刑に処せられている人たちへ

ちょっと前にこの本を買った。 

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

 

で、少しずつ隙間時間に読んでるんだけど、哲学に関しては全く知識がないあたしでもスラスラ読める。すごくわかりやすい。

でも、「つまりどういうことなんだろう?」って自分のこととしてじっくり考えないと、わかりやすい分「へぇー、面白かった」で終わっちゃって、その後すぐに忘れちゃうパターンになるんだろうな……というのもなんとなく想像がつく。

 

……ので、ちょっと考えたことをひとつアウトプットしとく。

 

サルトルによると、「人間は自由の刑に処せられている」らしい。

「自由とは、何が正しいのかわからないのに『好きにしろ』と放り出されてしまった不安定な状態」なのだそうだ。

そんな中で、正しいのかわからない何かを選ぶことを強制され、あげくにそれで失敗すると自己責任にされる宿命を持って生まれてきたのが人間なんだ、と。

 

なるほどねぇ。

 

個人的には、自分が自由の刑に処せられて生きてるなんて思ったことはないんだけど、人生に迷ってるときに人が感じるストレスって要するにそういうことなんだろう。

あたしも2回目のリストラされたときは、今後どの道を選べばいいんだろう?と悩んだし。

そして、こういう人生に迷ってる期間が長くなってくると「自由の刑」という感覚になるのかもしれない。

 

じゃあ、自由の刑だと感じてずっと苦しむ人と、一時的な悩みとして乗り越えてしまう人の差は何か?

 

これはたぶん2つあると思う。

1つは「正しい答えがあるのではないか」と思っているかどうか。

絶対的な答えがないのが明白でも、一般的とか社会的とかいう意味での正しい答えを求めちゃう人は自由の刑に処せられる確率が高い。

一方、正しいかわかんないけど自分にあってればオッケー、というレベルでしか答えを求めていない人は自由の刑に処せられる可能性が低い。

 

もう1つは「一旦選択したら変更できない」と思っているかどうか。

そう思ってる人、結構多いんじゃないかなぁ。特に日本人は。

「変更できない」とまでは思ってない場合でも、「すぐに変更するのはマズイ」と思ってたりしない?

そういう人は、失敗の可能性もある選択肢を気軽に選べない。延々と迷う。そうして堂々巡りに陥って自由の刑に処せられる確率が高い。

一方、「やってみてダメだったら方向転換すればいいや」と思える人は、とりあえず選んでから考えるから、自由の刑に処せられる確率はかなり低い。

 

サルトルは「人間は自由の刑に処せられる」と述べたうえで、「ヘーゲルも歴史は必ず弁証法によって発展していくって言ってるし、どうせ自由の刑を受けてるなら逆に積極的に失敗の責任を引き受けて決断し、歴史に参加しよう」と主張したらしい。

 

いやいやいや……そういうヤケクソ気味に行う選択が良い結果を生むことって少ないんじゃないかなぁ。

ヤケクソで人生生きるの、よくない。

哲学者ってもっと悟ってるのかと思ってた。サルトルだけなのかもしれないけど。

 

まあいいや。

とにかく、「自由の刑」という呪いにかかるのは、好きにしろと放り出されたとき「ヒャッホー!」と言えない人だけだと思う。

そして「ヒャッホー!」と言えないのは、人生を結果という観点でしか見てないからだと思う。

人生で重要なのは結果じゃなくて過程なのだとわかれば、自由の刑なんて単なる思い込みだとすぐわかる。

自由の刑に処されてる人は今すぐ自分を解放するように。

 

 

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