役に立つかは別として

頭の中にあるゴチャゴチャを出しとけばスッキリするかも

日本人の生きづらさの原因は日本独特の社会文化や価値観

今日、

熊代亨氏の「ホワイトな勤務先や社会にはホワイトな人間が求められるが、それがプレッシャーになって人々は生きづらくなるのでは」という主張の記事と

blog.tinect.jp

安達裕哉氏による、「それには同意するが、熊代氏の著書『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』にある、資本主義、個人主義、自由主義が原因というのは違って、他者との比較や、現代社会における役割の不足が原因なのでは」という主旨の記事と

blog.tinect.jp

それに対する熊代氏の「いや、やっぱりグローバル資本主義や新自由主義は生きづらいでしょ、というか、そもそも生きていくことは難しいものなのです」という記事

p-shirokuma.hatenadiary.com

を読んだ。

で、超モヤモヤするので、ここで吐き出しておく。

 

あたしは、今日本人が感じてる生きづらさの元凶は、日本独特の集団メンタリティとそれによって作られた社会文化や価値観だと思う。

同調圧力とか、年功序列とか、権力への忖度みたいなものが強烈すぎて、合理性や客観的な理屈が普通に通らない文化。

そういうところから生まれた過剰な相互監視や、自己責任をあたかも自業自得のようにみなす文化。

そして、この辺がしっかり刷り込まれてしまっていて、何がおかしいのかすら認識できなくなっている若い世代。

こういうのが全部、自分らしさや個人の幸せを追求するうえで、とてもとても大きなネックになっている、というのがあたしの意見。

 

「ホワイトな勤務先や社会ではホワイトな人間が求められる」と思ってしまうのも、つまりそういうこと。

前にも別件で「考え方が問題ということに気づかず、制度の是非を議論していて見当違い」という記事を書いたことがあったけど、それに似てる。 

www.saki-imamura.work

本当にホワイトな勤務先や社会では、日本的レベルの同調や忖度なんて求められない。人はそれぞれ個人の意見や能力を提供し、組織は個人個人の差に価値を見出してそれを糧に全体を高めていく。それが普通。

あたしはアメリカで長く勤めてたけど、ホワイトな企業だからホワイトな人間が求められて苦しいなんていうバカな話はなかった。

プロ意識は求められるけど、それは言いにくいことは言わないとか、怒るべきところを怒らないとかいうことでは決してはないし、実際に言いにくいことを言っても、的を得た意見であれば讃えられる。 

 

昔の日本人は、個人の利益とか個人の幸せを今ほど深く考えたことがなかったんだろう。

戦後とかの生計を立てて家族を養っていくことが最優先事項だった時代は、全体主義でもあんまり支障はなかった。

でも、資本主義や自由主義がグローバル化して人々はもっと豊かになり、個人がそれぞれ自分の利益や幸せについて深く考えるようになった。

そして、そうなったら、根本にある全体主義とそこから派生した諸々の日本社会文化が全部大きな足かせになってきた、という話なんじゃないの?

 

「他者との比較」が原因っていうのも、要はそういう話でしょ?周りと同じじゃなくちゃ罰せられる環境で育ってるから他者と比較しちゃうわけで。

そして「現代社会における役割不足」ってのも、単に「従来の役割に当てはまらない新しい役割を探求していく自由が社会的にあんまり推奨されてないし、そういう考えさえない人が多い」っていうだけなんじゃないの?

 

日本の社会文化とか価値観がね、時代の流れについていってないの。

そしてそのことに気づいてない人が多いの。

気づいていても異端者みたいに扱われるからやりにくいの。

 

資本主義も自由主義も個人主義も、決していいところばっかじゃないけど、それは単なる流れとかきっかけというだけで原因じゃない。

日本人の集団意識の問題。

そしてこれは個人個人が意識を変えるところからスタートするしかない。

 

頼むよ、日本……。

 

 

応援クリックお願いします~