昨日この記事を読んだ。
あたしはどっちかと言うと悩まない方だと思う。一時的に「どうすりゃいいのよ?」って考えたり「どっちにしよう?」と迷ったりはするけど、いつまでも悩んだりしない。
だって悩むのって疲れるでしょう?
この辺は「怒るのってパワーが要るでしょう?」と似た感じ。ただ、ずっと怒り続ける必要性がある場面はあると思うけど、ずっと悩み続ける必要性がある場面ってないような気がする。
まあそれはどうでもいいんだけど、悩むってホントに「自分にとって不都合な答えを認めたくなくて、悩み続けるほうが自分にとって都合がいいと判断してる」状態なのかなぁと思った。
どっちかと言うと、単に目の前にある課題が大きすぎてどう対応していいかわからないから止まっているだけなんじゃないかなぁ?で、対応策がないまま堂々巡りの思考を重ねてるから「悩んでいる」状態になってるだけなんじゃないかなぁ?
心の底では正しい対応策が分かってるけど実行できないというケースももちろんあると思う。でもそれは「自分にとって不都合な答えを認めたくなくて悩み続けるほうが自分にとって都合がいいと判断してる」というより、単に実行する勇気がないだけなんじゃないかなぁ?
つまり、認めたくないのは答えじゃなくて、自分にその答えを実行する勇気がないってことなんじゃないか。
あっ、でも「私って不幸なんです」みたいに状況を自分のキャラにしちゃってる人は「悩み続ける方が自分にとって都合がいいと判断してる」ケースかもね。自分のキャラと自分のキャラに注目してくれる人を捨てることができない、みたいな。
まあでもこれは全く別の問題って気がするけど。
で、「勇気がない」って話に戻ると、「勇気」というのは状況に応じて出てくるものだと思うんだよね。いつでもコンスタントに出てくる勇気っていうのはない。勇気が出ないのはこういう状況だと思う。
- どんな困難があろうとやる!と思えるほどの情熱がない
- 具体的な解決策がない(=なんの戦略もプランもなしで実行するほどの情熱がない)
- 今の状況も同じくらい魅力的または今の状況より酷くなる可能性あり(=見返りなしまたはリスクありでは解決策があってもやりたいと思うほどの情熱がない)
だから、昨日の質問力でモヤモヤを具体化して、その時点の自分の情熱レベルを考慮して決断すればあんまり悩まずに済むんじゃないかなぁ。
情熱大事。情熱。あと質問力。