今日、こういうツイートを見かけた。
エジソンの「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」という言葉は、原文ではinspiration(ひらめき)とperspiration(汗をかく)が韻を踏んでいるので、これを踏まえて訳すなら、「天才とは、1回の思考と99回の試行である。」とかどうだろう。
— 三崎律日 (@i_kaseki) January 31, 2022
で、一言言いたいので書く。
韻を踏みたいという趣旨はわかる。でも、何をどう頑張っても「inspiration」を「思考」と訳すのは無理*1。意味が違う。
この文脈の「Inspiration」はツイ主も括弧書きしてるとおり「ひらめき」である。「思いつき」と言ってもいいし、「アイデア」と言ってもいいし、「発想」と言ってもいいし、なんならそのままカタカナで「インスピレーション」と言っても構わない。要は、何かの拍子に降って湧いてくるものなんである。
断じて思考じゃない。
この文脈で言う思考は「ひらめき」側のものではなく、むしろ「努力」側のもの、努力の種類と言える。だから「天才とは、1回の思考と99回の試行である」という訳は完全におかしい*2。
でも、問題はここじゃない。
問題は、10万以上の人がこの誤訳にイイねしていて、引用ツイートとかリプでも(あたしがちょっと覗いた限りでは)ほとんどみんながこの訳を大絶賛しているということである。「ひらめき」を「思考」って訳したら意味違くね?って言ってる人がほとんどいない。
ねぇ、みんなちゃんとツイート読んでる?
「inspiration」という英語がわからなかったとしても、ツイート内に意味はひらめきって書いてあるよね?日本語で「インスピレーション」って言ったって大体意味わかるよね?「思考」じゃないってわかるよね?ちゃんと読んだらわかるよね?
以前、メインブログで「良し悪しをちゃんと評価できてないのにできてる気になってる」「周りがいいと言ったら鵜呑みしてる人がたくさんいる」と書いたけど、
ひょっとしてそれ以前の問題なんでは?と思ってぞっとした。
「読んだけど判断できない」どころか、「ろくに読みもしないで判断してる」なんじゃない?
日本人は昔から雰囲気だけでコミュニケーションすることが多い。
空気を読むから効率的になることも確かにあると思うけど、中身がないまま突き進んじゃうとか、間違ってても前進を止められないとか、問題の方が大きいと思う。
今回の、思考と試行という同音異義語の雰囲気だけでみんなが意味なんて考えず「すげえ!」と判断している状態を見て、あたしはまじで日本の将来が心配になった。
誰もろくに読みもしないで判断してる状態だったら、民主主義なんてあったって意味がない。自分の懐を温めたいだけの政治家たちが群がって食い散らかしてる状態になってるけど、全然不思議じゃない。
はぁ……。
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