ちょっと前にも書いたけど、
カンボジアのシェムリアップに1週間行っていた。
で、国立博物館、街歩き、トンレサップ湖ツアーに1日半費やした以外は、毎日せっせとアンコール遺跡群を巡ってきた。
訪ねた遺跡は以下の通り(訪ねた順):
- プノン・バケン
- バクセイ・チャムクロン
- 東メボン
- プレ・ループ
- バンテアイ・クデイ
- プラサット・クラヴァン
- アンコール・ワット
- リュオス遺跡群(プリア・コー、ロレイ、バコン)
- バンテアイ・スレイ
- ベン・メリア
- タ・ソム
- ニャック・ポアン
- プリア・カン
- タ・プローム
- タ・ケウ
- トマノン
- チャウ・サイ・テヴォーダ
- アンコール・トム遺跡群(バイヨン、バプーオン、象のテラス、ピミアナカス、ライ王のテラス、南大門)
いろんな都合上、完全に時系列順にするのは無理だったんだけど、なるべく時系列になるようにして最後はアンコール・トムで締めくくった。とても良かった。
全部それぞれ特徴があったから、これだけ一度にたくさん巡っても「途中からどれも同じに見えてきちゃう現象」はなかったし、逆にたくさん続けて見たことで、それぞれの個性だけじゃなくて全体的な特徴みたいなものも実感できた。
たくさん見るとか、何度もやるとかしないと見えてこないものがこの世にはある気がする。
……というのはまあ置いておいて、今回、全体の共通点としてあたしが一番驚いたのは、アンコールの遺跡たちがいかに雑に、かつ繊細に作られているかということだった。
写真や映像で見るアンコール遺跡群って、アンコール・ワットであれアンコール・トムであれ、全体像を写していることが多いと思う。部分的な画像はせいぜい「見どころ」の拡大くらいなんじゃないか。だから、あたしはその他の部分がどうなっているかよくわからない状態で現地に行ったわけなんだけど、実際に見た遺跡たちは意外にもかなり雑で、その一方、想像以上に繊細だった*1。
何が雑なのかと言うと、石の切り出し方というか、石ブロックの作り方。そして積み方*2。
石の大きさや形があんまり揃っていないし、1つ1つを見てもちゃんとした形になっていないことが多くて、だから余計にそう見えるのかもしれないけど、きっちり積まれてる印象が薄い。それなりに揃っていて綺麗に積んであるところもあるにはあるんだけど、全体的には「ちょっと積んでみました~」みたいなお手軽な感じがするところが多い気がする。
石の形が揃っていないというのは、まあよくあることだとは思う。日本のお城の石垣とかもそうだし。でも、石造りの建造物って(しかもこういうちゃんとした寺院みたいなものだと)、普通は石の形が揃っていなくてもきっちり隙間なく積まれてるから堅牢感があるし、シルエットも滑らかじゃない?
でも、アンコールの遺跡たちを近くで見ると「解像度が低いイラストを拡大してみたらカクカクしてた」みたいな感じになってるし、
「大丈夫とは思うけど、崩れてこないよね?」と不安になるところも多かった。
参道の石畳とかもはっきり言って雑。年月とともに朽ちてこうなったとかいう話じゃないと思う。寺院の内部の床とかも大体同じ。
実際、ベン・メリアみたいに倒壊状態がすごい遺跡を見ると、結構簡単に倒壊したんじゃないかという気がする。
なのに、なのに。
壁や柱に施されたレリーフがめちゃくちゃ繊細なんである。剥ぎ取られて盗まれてしまった場所や、自然に剥がれ落ちてしまった場所も多いんだけど、残っている場所をよく見ると、本当に細かく、場所によっては結構深く、神々の姿や綺麗な模様が彫ってある。
建設当時はさぞかし美しかったに違いない、破壊なしで残っていたらどんなに美しかったことだろう、としみじみ思わせる素晴らしさなんである。
一体どういう理由で、こんなふうに雑と繊細が共存することになったんだろう。
当時の人たちがどういう価値観で寺院を建築したのか、どういう人たちがどういう感じで仕事を分担したのか、ちょっと気になる。
時代ごとの王様が命令して、神や祖先を祀るための寺院を作ってるのに、この雑さと繊細さのギャップはなんなんだ。
世界は面白いもので溢れてる。