役に立つかは別として

頭の中にあるゴチャゴチャを出しとけばスッキリするかも

死んでしまったら終わり

大晦日の夜、父が他界した。

 

途中経過の話をあまり書いてなかったけど、父は12月中旬にリハビリ病院を退院して施設に入所したばかりだった。

パーキンソン病に脳梗塞が重なって全然動けない状態だったことを思うと、大分ましになっていて、春くらいに1泊とか2泊とかで一度家に帰れるように調整しようと話していたところだった。

でも、入所して1週間くらいしたところでインフルエンザが流行し始めて施設全体が面会謝絶になり、その翌日くらいに予防接種が間に合わず父もインフルエンザに。そして30日には熱が下がったと連絡があったけど、31日の朝にまた熱が上がって呼吸がおかしいから病院に搬送したと連絡があり、駆けつけたら肺炎で既にダメそうな状態になっていた。そしてそのままその晩他界した。

あっという間の出来事だった。

 

ましになってきてるし、施設生活が続くにしてもあと5、6年は余裕で生きてるだろう、と軽く考えていた。

でもこんなことになるなら、無理してでももっと早く一度家に帰れるように手配してあげればよかった。帰りたいって言ってたんだから。

 

あたしは自分がやりたいことは大体なんだかんだ言ってやってきたからあんまり後悔をしたことがない。

でも、人の望みが叶わなくて後悔することもあるのだと今回思い知った。

自分が助けてあげなくちゃ相手の望みは叶わないという状態で、それをしないうちに相手が死んじゃうと自分が後悔するのだと。

 

だからなのかもしれないけど、単に償いたかっただけなのかもしれないけど、通夜と告別式の会場で父が趣味で作ってた能面の展示をさせてもらった。

 

父は退職してから趣味で家具を作ったり能面とか仏像を彫ったりしていた。

あたしはまだアメリカに住んでたから作ってる姿はあんまり見てないけど、結構入れ込んでやってたのは知っていた。

だから、通夜と告別式の会場で「思い出コーナー」みたいな感じで写真を飾る提案を葬儀屋さんからされたとき、写真じゃなくて能面と仏像の方がいいんじゃないかと思って何気なくそう言った。

そしたら母が「あー、能面の展示会、やりたかったらしくてねぇ」と言い出して、

なにそれ、それはやれば自分でできたでしょ、なんで生きてるうちにやらないの、今頃言ったって知るか、ばかやろう、死んだら終わりなんだよ、

……と思ったんだけど、

「一体いくつ作ってたのよ?」と実際に出してもらったらなんと17面もあった。

見た瞬間、思考より先に心が通夜と告別式で展示会すると決めていた。

 

展示はすごく好評だった。

まあ故人が作者ということでみなさん優しかったって部分もあるかもしれないけど、たぶんそれを差し引いても。

結果的に、親族の方たちが計7面の能面を形見分けとして喜んで貰っていってくれた。実家に3面残すけど、たぶん残りは親族じゃない方たちに形見分けすることになると思う。

 

父がどう思ってるかは知らないけど、少なくともあたしは最後の最後で自分がやれることをやった気がする。

それで納得できたのかと言うとそうとも言えないんだけど、仕方ない。

 

でもこれからはもう後悔しないようにやることは全部やる。

死んでしまったら終わり、ゲームオーバー、ジ・エンド、なのだから。

相手にとっても、自分にとっても。

 

P.S.

能面の写真、展示の前に急いで撮ったからイマイチなんだけど、よかったら見てやってください。番号は制作した順序です。

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