役に立つかは別として

頭の中にあるゴチャゴチャを出しとけばスッキリするかも

本物の凄み

大塚国際美術館に行ってきた。

大塚グループが創業75周年記念事業として徳島県鳴門市に設立した陶板名画美術館で、古代壁画から現代絵画まで、世界各国の名画が1,000点くらい陶板で複製展示されいる。

設立の経緯とか読むと、なかなか面白い。

o-museum.or.jp

個人的には陶板に興味があったわけじゃなくて、世界の名画を古代壁画から現代絵画まで時系列でまとめて一挙に観れたらスゴイんじゃないか、何かわかるんじゃないか、と思ったから行ったんだけど。

1年半くらい前にパリに行って、ルーブル美術館、オランジュリー美術館、オルセー美術館、モネ美術館、ピカソ美術館、ポンピドゥー・センターと、ほぼほぼ美術史の時系列で美術館を観て歩いたんだけど、その時に起こった自分の内面の発見が凄かったんだよね。

だから、大塚国際美術館であの旅の簡易バージョンっぽいことができたら、あの時の発見や気持ちを整理できるかもしれないし、別の発見もあるかもしれない、という大きな期待があったというわけ。

 

結論としては、全くの期待はずれだった。笑

今回わかったのは「やっぱり本物と陶板コピーじゃ全然違う」ということだった。

 

とは言え、陶板コピーは良くできていた。

特に、壁画とか聖堂とかが実物大で再現されているのは本当に圧巻だったし、「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌの戴冠」とか「民衆を導く自由の女神」とか、「ゲルニカ」とか巨大過ぎてその辺の特別展とかじゃ絶対に日本にやってきそうにもないものが実物大で見れるというのも素晴らしい。

それに、「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌの戴冠」とか「民衆を導く自由の女神」は本物をルーブルで観てるけど、もともと筆跡が残らないように描かれてる時代のものだし、離れて見ないと全体が見えないような巨大さだから、本物と陶板コピーの違いはあんまり気にならなかった。

本物を観たことがない「ゲルニカ」に関しては、普通に良かったし。

ゴッホの「ひまわり」を7点を並べて鑑賞できたのもすごく良かった。

世界中の美術館に散らばっているもの5点、日本にあったけれど戦争で焼失してしまって写真から再現した1点、そして個人蔵の1点。こんなの、本物を並べて鑑賞する機会は絶対にないから、本物でなくても見応えがあった。

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左から、1888年(個人蔵)、1888年(焼失)、1888年(ノイエ・ピナコテーク、ミュンヘン)

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左から、1888年(ナショナル・ギャラリー、ロンドン)、1889年(SOMPO美術館、東京)、1889年(フィラデルフィア美術館、フィラデルフィア)、1889年(ゴッホ美術館、アムステルダム)

 

こういう意味で大塚国際美術館は素晴らしいと思う。

世界の名画を選定して、各所から許可を得て、全部複製するのにかかった時間と労力を考えるとクラクラする。

 

ただ、やっぱり陶板コピーだと心は動かなかった。

モネの「大睡蓮」の大パネルを野外にぐるりと展示してあるモネの庭も、本物の睡蓮が周りにあったりしてとても素敵な庭だったんだけど、特に心は動かなかった。

オランジュリーで本物を見たときは涙が出たし、去り難くて1時間くらいその場に座ってたのに。

時間とか労力とか技術とか情熱とか、そういう面で言ったら大塚国際美術館だってモネに負けてないと思うから、心が動くかのポイントはそこじゃないってことだよね。

心が動くポイントはオリジナルかどうか、本物かどうか、だ。

まあ、そうは言っても、明らかにコピーってわからなかったら、贋作でもちゃんと誰かが描いたもので見分けがつかないくらい上手かったら、もしかすると心は動いちゃうのかもしれないんだけど。

でも、とにかく本物の凄さはよくわかった。

 

あたしが訪ねた日は、小学校の子どもたちが団体で来ていた。

たぶんあの年齢の子どもたちはほとんどが本物を見たことがないと思うんだけど、世界の名画を陶板で見て、あの子たちはどう思ったんだろう?

「わぁ、いつか本物を見たい!」と思ってくれたのかなぁ?それとも「ふーん、これが名画なの」程度にしか思わなかったのかなぁ?

どちらに転ぶのか、結構ビミョーな気がする。

 

コロナで旅行できないとか、バーチャルな世界がどんどん豊かになってるとか、いろいろな要因で本物を見たり体験したりすることがこれからも減るんじゃないかなぁ。

でも、本物を見るって大事だ。 

もっとたくさん本物を見たい。 

 

 

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