5月13日から21日までパリでぶらぶらしてきた。
非英語圏だとやっぱり異国感があって、いろんなことが新鮮で、子供みたいな気持ちになれて楽しかった。
で、いろいろ見て体験して、感じたこととか考えたこともたくさんあったんだけど、とりあえず今日はピカソについて書く。
今回、ピカソはオランジュリー美術館とポンピドゥー・センターの国立近代美術館でも見た。でもピカソのことが一番よくわかったのはやっぱりピカソ美術館だった。
ピカソと言えばキュビズム、そしてキュビズムと言えば「何が描かれてるのかわかんない難解な絵画」っていうイメージが強いんじゃないかと思う。
そして、だからだと思うけど、ピカソは「凡人には理解できない天才」みたいな語られ方をされることが多い気がする。
実際あたしも今回「これ何の絵なんだろう?……えっ?横になってる女性?」みたいなリアクションをしてしまった絵が数枚あったし。
でも彼は、難解じゃない素敵な絵画もたくさん描いている。そういう基礎があるからキュビズムみたいなのが描けるということだと思う。
そして、今回改めて知ったのは、彼は完成品にたどり着くまで何枚も何枚も同じ題材を描いていたりするということだった。
例えばこれ。
Le Taureau(The Bull=雄牛)っていう絵なんだけど、この最後の究極の抽象画にたどり着くまで、ピカソは1ヶ月半かけて10枚の雄牛の絵を描いたそう。11枚目が完成品。
結構みんな「ピカソって最初から10、11枚目あたりの絵を描ける天才」だと思ってたりしない?
でも実はこんなステップを踏んでいた、というわけ。
しかも、あたしが撮ってきた写真ではどこまで伝わるかわかんないけど、1枚1枚がすごくガッツリ描かれてる。あくまでも11枚目にたどり着くためのラフなスケッチとかいうわけじゃなくて、どれも作品として成り立つレベルなんだよね。
あと、ピカソ美術館ではガラスに絵を描いているピカソを正面から撮影した映像を公開していて、ピカソがどんな表情でどう絵を描いているか観ることができたんだけど、少なくともこの映像では、彼は全く迷いを見せず、集中して一気に絵筆を動かしていた。
だからたぶん上の雄牛もそういうふうに描いたんだろう。
今、出せるものを、思い切って、潔く、でも全く手を抜かないで、一気に描く。
そして出し切ってからじっくり検討して次のバージョンを同じようにまた描き、それを納得が行くまで繰り返したんじゃないか。
みんなが思っているよりずっとずっと労力を費やして、たくさん「失敗」や「試作」を繰り返してるから、天才的なものが生まれてるんじゃないか。
同じように1ヶ月半かけて11枚の段階を踏めば誰でもピカソみたいな絵が描けるってわけじゃないから、ピカソにある種の才能があるのは確かだと思うけど、彼を天才的にしているのは才能じゃなくて作品への向き合い方やアウトプットの仕方だと思う。
これは凡人も真似できるし、すべきなんじゃないか。
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