役に立つかは別として

頭の中にあるゴチャゴチャを出しとけばスッキリするかも

デタラメのオセロが教えてくれたこと

ブコメで声をかけてくださったみなさま、ありがとうございました。

嬉しかったです。

 

もう一つ父関係の話を書きたいので書きます。

 

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入院すると認知症が進むって言うけど、父のときもそうだった。

パーキンソン病も関係してたと思うけどやる気もなく、テレビ観る?とか、散歩行く?とか、何かしたいことある?とか聞いても首を振るばかりだった。

だからあたしは途中から戦略を変えて、散歩行くよ、おやつ食べるよ、と、全てやる前提でさっさと準備するようになった。

そうするとちゃんと反応した。ときには嫌そうに、そしてときには満更でもなさそうに。

 

それでもマンネリ化してきたから、11月の終わり頃に思いついてオセロを買って病院に持って行った。子供の頃に家にあったから覚えてるんじゃないか、これなら簡単に頭を使えていいんじゃないかと思って。

 

でも「オセロ持ってきたよ、オセロやるよ、はい、お父さんは黒」と言って駒を持たせたら、父は眉間にシワを寄せて数分間じっと考えたあと、ひとつも白の駒を裏返せない、全く関係ない場所に自分の駒を置いた。

……ズッコケた。(笑)

「いや、違うでしょ、挟んで相手の駒を裏返さなくちゃ、ほら、こうやって」と説明しても、じっと考えて「……わからんな」と言う。そしてまた全く見当違いの場所に駒を置く。

しょうがないからあたしも諦めてテキトーな場所に自分の駒を置くようになった。父はその後もじっと考えては変な場所に駒を置いていた。

 

いつも途中でリハビリだの入浴だのでお呼びがかかっちゃって一度も最後まで(?)プレイできたことはなかったけど、とにかくそんなこんなで計3回、父だけがルールを理解しているデタラメのオセロで遊んだ。

 

今思うと囲碁と勘違いしてたのかもしれない。ちょっと囲碁のルールはよくわからないから断言できないけど。

 

でも、こっちには全くわからないルールに則って1手1手真剣に考えて駒を置く父を見ていて、ああそうか、今までもこの人はそうやって生きてきたんだ、と突然気がついた。あたしが彼のルールを全く理解できなかっただけで、彼は彼なりに考えて生きてきたんだ、と。

 

あたしは父に愛されてると思えたことが一度もない。

あたしの父に対する気持ちは、

子供の頃の「この人の支配下にいたら発狂する」という危機感

アメリカでまともな愛情に触れてから湧いてきた「やっぱり普通じゃなかったんだ」という怒りと恨み

いろいろ経験を積んでもっと大人になってからの「父も所詮ただの人なんだ」というがっかり感

もう少し大人になってからの「自分が父より大人になればいいんだ」という望み

日本に帰ってきて頑張ったけど何も変わらなかった結果の「父はこういう人なんだ」という諦め

……という経緯を辿っていて、要介護になってからも最初は義務でやってるだけという感じだった。「この人が死んでも涙なんか出ないだろうなぁ……」と淡々と思っていた。

 

でも泣いた。

 

デタラメのオセロをやったからだと思う。

あたしが理想とする父親じゃなかったのは確かだけどそういう問題じゃなかった、彼は彼なりに生きた一人の人間だった、と思ったら、ギリギリ最後にデタラメのオセロをやれてよかったという感謝と、でもそこで終わってしまったという無念で涙が出た。

 

めちゃくちゃ長くて辛い学びだった。

でも学んだ、と思う。

 

 

 

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