九州に行ってきたんだけど、
ついでに佐賀の吉野ケ里遺跡と県立宇宙科学館(ゆめぎんが)に行ってきたから、この2つについても書き残しておきたい。
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2年前にわざわざ青森まで行って縄文時代の大規模集落跡である三内丸山遺跡を見てきたけど、
吉野ケ里遺跡は、その弥生時代版と言っていいと思う。大規模な集落跡が復元されているという意味で。
あたしの興味はあくまでも縄文で、正直弥生時代にはあんまり惹かれないんだけど、三内丸山遺跡を見て以来、吉野ケ里遺跡も見て比較したら縄文がもっとわかるかも…となんとなく思うようになった。それで、福岡で友達に会うついでに足を伸ばして見に行ったというわけ。
結果、縄文時代と弥生時代の違いがあからさま過ぎて衝撃的だった。
何が違うって、争いの痕跡がない縄文時代の平和さには以前から驚いていたけど、吉野ケ里遺跡では逆に争いの痕跡が「どんだけ~」とツッコミたくなるくらい凄かったので。
吉野ケ里遺跡に見られる(外との)争いの痕跡はこんな感じ。
- 集落がぐるっと外濠・内濠の二重の濠に囲まれている
- 濠に沿って逆茂木や柵もある
- 見張り台としての物見櫓がたくさんある
- 兵士の詰め所とかいう建物もある
- 倉庫が並んでいる区域には、食料庫だけでなく武器庫もある
- 発掘された人骨には矢じりが刺さったままのものや、首がないものもある

逆茂木っていうのは先を尖らせた1mくらいの木の枝を地面にたくさん突き刺したもので、近くに寄れないようにするのが目的らしい。争いを好まないあたしは「近くに寄れないようにするだけなら先を尖らせる必要なくない?」*1と思ったんだけど、尖っているのは威嚇目的らしい。やな感じ。
物見櫓も「こんなに要る?」というくらいあった。集落の真ん中から四方を見渡すだけじゃ足りなくて、あちこちから特定方位を睨む感じになっている。
あと、矢じりが刺さったままの人骨ってのは、たぶん深く刺さりすぎてて埋葬前に取り除くことができなかった矢じりだと思うんだよね。それが10本残ってるって、どんだけ刺さってたの?
そして首がない人骨て!これ、敵に首を取られたから首がないまま埋葬されたって話なんだけど、それってつまり弥生時代から首実検をしてたってこと?戦国時代になってからの話じゃないんかい!怖っ!
いやマジで、なんで平和で芸術的だった縄文時代から一転してそんなに変わっちゃったの?って感じで驚きしかない。でも、これはもう、稲作とそれに伴う「食料を蓄える」「土地を所有する」という概念、そしてそういう所有の概念から派生する所有物を守る防御・戦いの技術が大陸から入ってきちゃったからなんだろうなぁ。
そして贈り合う経済で成り立ってた縄文社会は奪い合う経済の社会に移行してしまった。
とは言え、奪い合う経済を含む大陸文化が縄文社会に入ってくることは避けられなかっただろうし、入ってきたときに適応しなかったら縄文人たちは大陸の人たちに絶滅させられてただろうとは思う。だから、弥生時代は来るべくして来たんだろう。
いつか人類は、避けられない発展を受け入れ適応しつつも平和を維持できるくらい成長するんだろうか。
頑張れ、人類。
*1:上から落ちてくるのでない限り刺さらないであろう設置状態なので。