前回書いた通り、ちょっと青森に行っていた。
今回の主な目的は三内丸山遺跡を見ること。
三内丸山遺跡っていうのは、知ってる人は知ってると思うけど、90年代半ばに発掘されて復元整備された、縄文時代中期くらいの大規模集落の遺跡。巨大な六本柱建造物の跡が見つかって、当時はかなり話題になったらしい。この頃あたしはまだアメリカにいたから、そんなニュースは全然知らなかったんだけど。
でも、2021年に北海道と北東北の縄文遺跡がまとめて世界遺産に登録されてまたニュースになり、あたしもその時に三内丸山遺跡のことを知った。それ以来、いつか見にいこうと思っていた。
今、小中学校で縄文時代のことをどのくらい教えてるのか知らないけど、あたしが小中学生だった頃は
- 人々は狩猟採集をして暮らしていた
- 土器が作られるようになり、縄の模様が入っていることから縄文土器と呼ばれるようになった
- 縄文時代は1万年くらい続いた
- この後、稲作が始まって弥生時代になった
くらいしか教わらなかったと思う。
だから、縄文時代についての知識はほとんどなかったんだけど、なんか不思議な時代だなぁとずっと思っていた。なんて言うんだろう、情報が少なすぎてよくわからない感じももちろんあるけど、そもそもわかっていることもなんとなく腑に落ちないというか。
子供の頃に一番不思議に思っていたのは、縄文土器の模様の細かさ。
原始的な生活をしていた人たちがここまで手の込んだものを作ってたというのが、なんかよくわからなかった。だって、火焔型土器とかなんて、もう日用品じゃなくて芸術だよね?こういうスキルやセンスがある人たちが原始的な生活をしてるというギャップが、子供心に不思議だった。
あと、子供の頃は「縄文土器は作るのが難しそう、弥生土器は作るのが簡単そう」という単純な印象があって、なんで難しそうな土器が先に作られて、簡単そうなのが後に作られるようになったのかもなんとなく腑に落ちない感じがしていた。
もう少し大きくなって、弥生土器の方が薄いし高温で焼いてあって強度が高いと知ってからは、そうかちゃんと進化してるんだなと思ったし、シンプルな形もその方が実用性が高いってことも理解した。でも、「いやそれにしたって、なんで見るからに実用性が低い、モリモリに模様が入った土器を作ってたわけ?どんぐり拾ってるような時代なのに?」とやっぱりなんとなく不思議だった。
でもまあ、それだけで縄文時代のことは忘れてたよね。
それが変わったのは、大人になって、縄文時代の遺跡からは他殺の人骨がほとんど出土しておらず争いの痕跡がないと知ってから。これ、かなりすごくないか?
だって、1万年続いた時代なんだよ?集落があったのは確かなのに、個人的な小競り合い以上の争いがあった痕跡がないってすごい。どうして1万年も争いを起こさずにいられたのか知りたい。
あと、大人になってから一番疑問に思うようになったのは、縄文時代が1万年もあったのに大して進化や発展をしていないように見えるところ。
あたしは今53歳だけど、たった53年の間で、PCやスマホが誕生してあっという間に普及して、AIなんかももの凄い速さで進化しているのを見てきている。自分の人生体験からは「人類とは、根本的には成長したいし進化したい種なのだ」としか思えないし、「資本主義的な成長を奨励する枠組みが流行って、共産主義的な成長する場がない枠組みが失敗したのはだからでしょ?」としか思えない。
でもだとすると、逆に縄文人が1万年も大して変わらない生活を続けられたってどゆこと?という話になってしまう。不思議で仕方ない。動物みたいにほぼ100%今だけを生きてたんだろうか?
……てことで、なんで三内丸山遺跡を見たかったのか書いたら長くなっちゃったから、三内丸山遺跡についてはまた今度にする。
しかし、縄文時代と縄文人、不思議すぎる。