役に立つかは別として

頭の中にあるゴチャゴチャを出しとけばスッキリするかも

「やりたいこと」は「体験したいこと」の手段でしかない

この間こんなことを書いた。

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で、その後ちょっと考えていて、そうだよ、これはあたしの自分宗教じゃん、と思い当たった。

……あれ、「自分宗教」なんて言葉あったっけ?

まあいいや、これmy religionの直訳ね、あたしが個人的に信じてることっていう意味。自分ちの宗教って意味じゃなくて。

で、あたしの自分宗教では、「人が生まれてくる理由とは、魂が『分かっている』ことを実際に体験するため」ということになっている。

魂は身体がないから、例えば「信頼関係」のコンセプトとか、理解していても体験できない。だからそういうのを体験するために地上にやってくるんだ、と信じてる。

いや、「信じてる」と言うとちょっと語弊があるかもしれない。

ホントにそれを信じられるのか?と言うと、信じる根拠はなにもない。でも信じない根拠もなにもない。ただ、そう考えると辻褄が合って生きやすい。だからもう何年もずっと便宜上信じている、というだけ。

 

「分かってることを体験する」っていうのは、例えば、地球は丸いってことを知識として理解していても、地平線を見晴らせるところに行ったり宇宙に行ったりしないと本当に地球が丸いってことは実感できない、みたいなこと。

個人的な話で言うと、あたしは「泳げたらどんなに気持ちいいだろう」とすごく憧れてるんだけど、そして泳ぎ方については理論的には何をどうすると進むのかとか一応分かってるんだけど、実際には泳げない。

分かっていることとできることは別、というわけ。

 

これの精神版が人が生まれてくる理由なんだと思うんだよね。愛とか、信頼とか、創造力とか、素晴らしいと分かってるけどまだ体験できてないものを体験したい、ということなんだと思う。

 

よく「やりたいことリストを作ろう!」 みたいなの、あるでしょ?

あたしも自分のやりたいことリストがあるんだけど、やりたいことが多すぎるんだよね。だから「ああ、時間が足りない」ってフラストレーションがいつもある。そしてそういうことを考えててこの間の「体験しなきゃ分からないし、分からなければ成長しない」って話になったんだけど。

 

何を体験したいのか、という観点でやりたいことリストを見直したらリストがかなり整理できちゃうんじゃないか?

「やりたいことリスト」の前に、「体験したいことリスト」を作るべきなんじゃないか?やりたいことって、実は体験したいことの手段でしかないんじゃないか?

……という気がしてきた。

むむむ。むむむ。