これの続きで、アンコール遺跡群の印象の話。
アンコール遺跡群には雑さと繊細さが共存してる不思議さがあったと書いたけど、それだけじゃなかった。アンコール遺跡群には、時間や宇宙を感じさせるような不思議さもあった。
時間に関しては、長い年月を経て倒壊しちゃってる遺跡があったり、木に侵食されちゃってる遺跡があったりするから、余計にそう感じた部分はある。
でも、時間を感じさせるという意味でもっと印象に残ったのは、合せ鏡をするとそこにある物体が永遠に続いているように見える現象を連想させる構造だった。
全部じゃないけど、回廊の中に回廊があって真ん中に祠堂があるような構造の寺院だと、外側から真っすぐ中心部を見たときにそれぞれの回廊の通路枠みたいなのがいい感じに連なって見えて、まるで長方形の鏡の枠が延々と繋がっているみたいに見えるんである。
あんまり上手に写真撮れてないけど、こういう感じ。
中央には、壊れてたけどちゃんと仏様がいる。
これ、枠と枠の間はそれほど離れてないから、普通だったらほぼほぼ同じサイズに見えちゃう気がするんだよね。だから、実際に採寸したわけじゃないから自信はないんだけど、もしかして中央に近づくほど枠を小さくしてわざと奥の枠が手前より一回り小さく見えるようにしてない?と思った。
タ・プロームのはもっと大きかったし、今写真を見てもトリックアート的な印象は受けない。でも、それでもやっぱり合せ鏡の中みたいな印象は受ける。
当時の人たちがそういう意図を持ってこれらの寺院を建設したのかどうかは知らないけど、あたしは「永遠に続く扉の遥か彼方に神や仏がいる図」が表している宗教観というか世界観に宇宙を感じたし、「その宇宙の前に立つ自分」という構図にもなんだかよくわからんが納得させられてしまった。
そして「よくわからんが、何かを見せられた気がするな…」と思いつつ最終日を迎え、アンコール・トムを見に行ったんだけど、この中にあるバイヨンは立体曼荼羅のような場所だった。
バイヨンは観音菩薩の四面塔がたくさんあるので有名だと思うけど、回廊から入った内部の敷地は意外と薄暗くてごちゃごちゃしている。さすがに迷うほどではないけれど、通路なのか単なる隙間なのかよくわからない細いところを歩いていると、どこにいるのか忘れてしまう没入感のようなものが湧いてくる。そして、たまにちょっと開けて光が差している場所に出たときにふと見上げると、四面塔の菩薩が見える、という感じ。
この、「薄暗くてごちゃごちゃした場所で、自分がどこにいるのかわからないような錯覚に陥りつつも進むと、たまに明るい場所にポッと出て、見上げると菩薩がいる」という図は、まさに人生というか宇宙というか、またしても何か納得してしまった。
これって、例えば空海が日本で作ったような曼荼羅とは伝えようとしていることが100%同じではないかもしれないけれど、宇宙を悟らせるためのツールという意味では、曼荼羅じゃない?
宇宙や人生みたいなものを感じた寺院や遺跡は初めてかもしれない。