以前、自分の中で縄文がブームになっていると書いたけど
あれが意外と冷めてなくて、縄文関連の本をまだ読んでいる。
最近読んだのは、これとか
これとか
これとか
これ。
それで、以前書いた縄文時代に関する疑問に対する答えが自分なりに見えてきたから、書いておきたい。
以前書いていた個人的な3大疑問は以下の通り。
- 原始的な生活をしているはずの縄文人の芸術性(技術も感性も両方)はなんなのか
- 1万年以上も争いなく暮らせたのはなぜか
- 1万年以上も争いなく暮らしていたのに、たいした発展もないように見えるのはなぜか
1に関しては、前に紹介したこれにもあった
「食べるものに困らず労働時間は1日4時間ほどだったので暇だった」説にかなり納得してたんだけど、地域ごとに土器の特色があったとか、文字がない時代だったから文様にもっと意味があったとか、そういう考察も踏まえると、コミュニティレベルでアイデンティティを形成するために力を注いでいたんじゃないかという気がしている。
現代で言うと、地元の野球チームとかサッカーチームを通じてサポーターコミュニティが形成されるようなノリ。みんなチームロゴとかチームカラーみたいなざっくりしたデザインルールに則っていろんなグッズを揃えて応援して盛り上がるじゃない?
縄文時代の衣服は布の切れ端とかしか残ってなくて詳しいことはわかってないけど、もしかするとコミュニティごとの特徴とかあったかもしれない。髪型とかも。
そういうチームで盛り上がるようなノリがあったから、不要不急的なところに縄文人は心血を注いでいたんじゃないか。
2については、齋藤勝裕さんが縄文時代驚異の科学で「石器しかなく、大規模な争いができるような武器がなかったから」と言ってるけど、個人的には違うと思う。
だって、石器についていろいろ読んでると、かなり使えるっぽいんだもん。実際に、弓と矢を使って動物を狩り、石ナイフで解体してたわけだし、人を殺めるために道具を作ろうと思ったらそれくらいできたんじゃないかと思う。
だからあたしは、争いがなかった理由は
- 食べ物が豊富にあった
- 自分たちは自然の一部として生きているという感覚で、稲作もしていなかったため、土地を所有するという概念がなかった
- 土器づくりなどで余暇も充実していて、精神的にも満たされていた
- 貨幣がなく、お互いにモノを贈り合う贈与経済だった
- 集落ネットワークがサバイバルするために必須だった
という辺りなのではないかと思う。
誰も何も所有していなくて全てはみんなのもの、みんなが余暇を楽しんでいて、贈り物で人との関係が成り立っていた、と来たら、争うって何?という感覚になって当然な気がする。
3については、「1万年も何してたの?たいした発展してないみたいだけど?」なんて言ってゴメン!と縄文人に謝罪したい。
いろいろ読んでると、土器を作り始めた以外にも、縄文人はめっちゃいろんなことをしているのがわかる。ちょっと列挙しとくと、
- イヌだけでなく、イノシシも家畜化(=ブタ開発)
- 土器を使った煮物、焼いた石を使った焼き物や蒸し物、トンネルを掘って中で煙を起こして作った燻製など、調理技術の開発
- 植物繊維を編んだり組んだりして作る布やかごの開発
- 針を開発し、動物の角や骨から製造、縫製技術も開発
- 染め物や漆工品の開発
- 木製品の加工技術開発*1
- 高床式倉庫*2や校倉造、ホゾとホゾ穴による接合などの建設技術の開発
とかがある。
石器とかだって、便利な交通手段も重機も検査器具もない時代に、日本全国どこの石材が何に適しているのかという調査研究をちまちま続けていたんだろうと考えると、かなりすごい。
ちなみに、ぼくは縄文大工の雨宮さんによると、栗の木というのは、耐久性が最高な木材なんだそう。硬さも柔らかすぎず硬すぎず、手道具との相性もとても良いとか*3。
つまり縄文人は、栗の木を実を収穫するために植えておいてついでに木材としても使用していたのではなくて、いろんな木材を調査研究して栗が最強だと結論していたのではないか。そうだとしたら、やっぱりすごい。
縄文、アツイなあ。