ちょっと前にこれを読んだ。
非正規雇用とか低年収層とか、将来の社会保障の問題に関してはあたしも結構悲観的で、特に若者たちのことは心配に思っている*1。
だから、ニャートさんには是非このビジョンを実現してもらいたいと思う。
でもこれを読んですごくモヤモヤした。
で、どうしてもそのモヤモヤが頭の隅から出ていってくれないから、諦めてここに出しておく。
今頃になって言及してるのはそのせい。
モヤモヤしたのはこの辺り。
唐突だが、「お金がない」とは「収入より支出が多い結果」である。
(中略)支出が多いのなら、できるだけ中間に人が入らないサービスを選ぶ(自給自足か直接交換)。
収入が少ないのなら、できるだけ中間に人を入れずにサービスを提供する。(中略)
それなら、月6~7万円くらいで暮らせる。
(中略)
収入が下がっても、支出も下げ、自給力を上げればよいのだ。
本当に追いつめられた時、人には逃げる場所が必要だと思う。
プレッシャーやストレスや身の危険、そういう諸々のことからとにかく離れて心も身体も休めることができる場所。そして、ある程度休んだらリハビリ的に徐々に何かを始めることができる場所。
今の社会には、実際にそういうレベルまで追い詰められてる人がたくさんいると思う。しかも「ここを乗り越えれば楽になるはず」的な希望があんまりない。
だから、ニャートさんのような考えで成り立つ場所が「逃げ場」としてあったらすごくいいと思う。
もともと田舎で自給自足生活をしたいと思ってる人もいるだろうし。
だけど、根本的な思想としてはどうなんだろう?
人は、衣食住とか精神的な安定とか最低限のものが満たされないとそれ以上のことができない。てか、そういう状態で他のことをやろうとしても必ずどこかで無理が出る。生きていくだけで精一杯とか最低限で生きていくというのは要はサバイバルモードだから、そんな状態でそれ以上のことをして日々成長して充実した人生を送るというのは難しい。
普通、ここで考えるのは「サバイバルモードからの脱却」だと思う。
最低限を満たせるようになってサバイバルモードから脱却し、自分の人生を極めて行く、という道。
でも、このサイレント革命の思想は「サバイバルモードへの対応」だと思う。
脱却はそもそも無理だから、最低限のハードルを下げよう、ハードルを下げてサバイバルしやすくしよう、と言っているように見える。
そういう前提で、「ハードルを下げることでずっと生きていける世界」を目指すのって寂しくないか?後ろ向きじゃないか?
もちろん、自分の経済状況とか家庭状況とかに関係なく、単に田舎で自給自足生活をすることを望んでいる人は積極的にその道でいいと思う。
でも、生きていくために消去法でそっちへ行くという選択は寂しくないか?
できればそういうのは、一時的な逃げ場、いずれは超えていく段階という前提であって欲しい。
そして、「独自の経済を作って日本経済の輪から抜け出す」みたいなシナリオじゃなくて、「一旦サバイバルモードから抜け出して休んだ人たちが、理不尽な社会のルールに従わなくてもずっと生きていける自分を確立して社会に戻る」というシナリオであって欲しい。
甘いよ、それができれば悩んでないよ、とか言われそうだけど、あたしはできると思う。
みんな一人ひとりそういう可能性を持ってると思う。絶対。
*1:氷河期世代については、自分の年代にもかかわらずなんとなく実感がない。日本にいなかったからだと思う。