今日、この記事を読んだ。
「人生とはできあいのテーマパークの順路をめぐるようなものだ、そうやってニセモノにおぼれてニセモノの人生を送るようになるのだ」という別のブログ記事に対して「そんなことを言ったらニセモノでない人生なんてあるのか、ニセモノとホンモノの違いはどこにあるのか」と考察し、「ニセモノ・ホンモノ」という考え方は自分の世界では成り立たないと述べた記事。
なるほどねぇ……と思ったんだけど、あたしの視点は全く別のところにあるなぁと思って自分の意見を書きたくなったから書く。
世界観とか人生観とかを考えるとき、真実というのはあくまでも「その人にとっての真実」であり、世界共通の絶対的な真実というのはない。
根本的な真理みたいなのはあるだろうと思うけど、それをどう解釈して適用するかということに関しては絶対的だと証明できるような正解はない。
似たような教えなのに、宗教によって微妙に違う形で説かれていることってよくあるじゃない?あれはつまりそういうことなんだと思う。
だからぶっちゃけ世界観や人生観っていうのは、それぞれが自分で勝手に選べばいいものなんである。「自分にとってはこれが真実だ」と決めて生きていけばいい、という話。
で、 ここからがポイントなんだけど、「正解があるわけではないから自分で決めればいい」という前提なのであれば、自分という人間がより良い人生を送るうえで役立ちそうな世界観や人生観を選んだほうがいい、という理論になる。
つまり、何がニセモノで何がホンモノなのかというのは考える必要はなくて、例えば「人生をニセモノにするのもホンモノにするのも自分次第だ、自分が一生懸命である限り人生は全部ホンモノだ」みたいなことを自分の中で決めておけばいいんである。正解かどうかに関係なく、ただ便宜的に。
The most important decision we make is whether we believe we live in a friendly or hostile universe.
(友好的な世界で生きているのか敵対的な世界で生きているのか、どちらを信じるのかが一番重要な判断なのだ)
ってアインシュタインも言ってたけど、自分がどの角度から物事を見るかによって世の中なんてどうとでも見える。
「自分が一生懸命である限り人生は全部ホンモノ」と信じて生きればその通りになるし、「人生とはできあいのテーマパークの順路をめぐるようなものだ」と信じて生きればその通りになる。だったらどちらを選びたいか?という話。
あたしは前者を選ぶ。人がニセモノと言おうがなんだろうが知ったことか。
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