役に立つかは別として

頭の中にあるゴチャゴチャを出しとけばスッキリするかも

体調不良を人生カウントダウンのリマインダーにして「命なりけり」と喜ぶ

しばらく体調が良くなかった。

暑くて外は無理な状況も相まって、ここしばらく最低限しか外出しないで家で寝たり起きたりの生活をしていた。

きっつー。

でも、読書と考え事はそれなりに捗ったかもしれない。

そんななか、書き留めておきたいと思ったことが1つがあった。で、今日はようやくPCを開いて書く気になったから書いとく。

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あたしはかなり若い頃から、自分を人と比べて優劣を測るやり方ではなく、今の自分を過去の自分と比べて進歩を測るやり方で生きてきた。

自分を人と比べて役に立つことなんてほとんどないと思う。大抵の場合、優越感から慢心しちゃうか、劣等感から自己肯定感がやられるか、競争心で疲弊するのがオチ。自己の確立もやりにくくなる。

有用な形で自分を人と比較するやり方もないこともない。自分が目指している形を体現している人を目標として掲げて差を縮めていくとか、自分と目指しているものが同じで自分と同じレベルにいる人と比べてモチベーションを上げるとか。でも、目的に合った良い比較対象がないとうまくいかないし、長期に渡って使えないことが多い。

その点、過去の自分と比べるのは簡単で、それなりの努力さえ怠らなければ、少しずつ進歩する自分が確実に見えて良いモチベーションになる。それに、ずっと自分のことを見ていれば自分をもっと知ることにもつながるし、結果としてパフォーマンス云々だけでなく「そもそも何をやるべきか」みたいな方向性についても考えやすくなったりする。

だから、実際あたしは若い子には「人と比べるのではなく、過去の自分と比べろ」とアドバイスしている。

……のだけど。

50歳を過ぎて老いを感じるようになってからは、過去の自分と比べて前に進む習慣がしんどい場面が出てくるようになった。

身体能力とか、体調とか、体力とか。

要は、身体全部。

いろいろ頑張ってはいるけど、身体的に過去の自分を越えていくのは年々厳しくなっていて、無理やりどこかで頑張ると他でしわ寄せが来てしまう。現状維持の戦いなら、まだなんとかできないこともない気がするけど、費やす時間と労力を増やすのが必須になってくる。厳しー。

それに、良くも悪くも、身体は精神と密接に繋がっている。

身体が不調だったりどこかが痛かったりすると、元気な精神状態を維持するハードルが上がる。だから、体調不良のたびに元気だった過去の自分と比べていたら、メンタルがやられてしまう。これは良くない。

つまり、「過去の自分と比べて進歩を測る」という生き方は、若いうちはほぼすべての分野で有用だけど、人生後半になって老いが入ってくると、少なくとも身体的な面に関しては、有用どころか害になる、ということ。

……じゃあどういう思考の枠組みを持って、残りの人生を生きていけばいいのか。

今回、寝たり起きたりしながら2つの案を考えた。

1つは「体調不良や身体の衰えを、残りの人生のカウントダウンのリマインダーとする」ということ。

人はみんないつか死ぬ。だから、人生なんてものは生まれた瞬間からカウントダウンが始まっているんだけど、そういう意識は、自分が死にかけたり身近な人が死んだりしないとなかなか出てこない。それに、出てきてもしばらくしたら薄れてしまう。

だから、これからは体調不良が起きたら「昔はこんなことなかったのに」とか「やっぱり身体にガタがきてるな」みたいな方向に思考を動かすんじゃなく、「そうだ、カウントダウンしてるんだった」と思い出して「できることをできるうちにやらなくては」という方向に思考を動かす癖をつけようと思う。

もう1つは「いちいちなんでも『命なりけり◯◯◯』と喜ぶ」ということ。

「命なりけり」っていうのは、西行の

年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山

っていう歌にある言葉。これは、京都から関東へ向かう途中にある難所の1つである中山峠を若い頃越えたことがあった西行が、晩年にもう一度この峠を越えて「年をとってからまた中山を越えることがあるとは思わなかったなぁ、命あってのことだなぁ」と詠んだ歌なんだけど、これを拝借してなんでも「命なりけり◯◯◯」と喜ぶ癖をつけようと思う。

体調が悪くても、身体が衰えてきていても、生きている限り「命なりけり」と言えるはずだし、なんなら体調不良や身体の衰えを感じることが多い方が「命なりけり」という方向性で感謝したり自分を鼓舞するレバレッジになるんじゃないか。

やってみないとわからんが。

……てことで、とりあえずこの2つを試しながら、他にもなんか良い案はないか考えることにする。

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ほぼ3年前に、投資のやり方を時代に合わせてアプデするのが大事という趣旨のことを書いたけど、

www.saki-imamura.com

生きていく上での思考方法についても、自分のライフサイクルに合わせてより有用なものにアプデする必要があるんだな、と今回気づいた。

「思考方法というのは、新しいものを取り入れることを含めて発展させるべきもの」という意識は以前からあったけど、「今までの人生で役に立っていたから今後も役に立つとは限らない、そういうものは差し替えが必要」というのはちょっと意外な発見だった。

寝たり起きたりで、本を読むか考え事をするくらいしかできない時間は必要だったのかもしれない。