役に立つかは別として

頭の中にあるゴチャゴチャを出しとけばスッキリするかも

方法論としての宗教の価値

前にも書いた気がするけど、今までの人生において、あたしは宗教を意図的かつ全面的に避けてきた。納得できる教えもあるけど、イマイチ納得できない教えの方が多いし、そもそも押し付けがましいのが胡散臭い、信用ならねぇ、と思っていたので。

でも、50歳を越えたあたりで、人類や世界を理解するのに宗教を避けて通ることはできない、むしろ宗教を知ればかなりのことがわかるようになる、と気がついて、少しずつ宗教について勉強するようになった。

と言っても、まだ概要をちょっとかじっただけで何もわかってないレベルなんだけど。

でも最近、「もしかして、こゆことなんじゃね?」っていう仮説が自分の中で湧いてきている。もしそういうことなんだとしたら、いろいろなことの説明がつくし、人類とか世界を知るうえで興味深い。今後を考える視点としても役に立つかもしれない。

……てことで、とりあえずこの仮説を言語化しておきたい。

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まず、第一に、少なくとも世界の主な宗教はみんな、ずっと元まで辿れば、その根底には同じ「宇宙の真実」的なものがあったんじゃないか。

つまり、宇宙の真実は、どの宗教でも、もともとそれを極めた人たちの間ではちゃんと同じように理解されていたんじゃないか。

でも、それぞれの宗教が独自の発展を遂げ、似てるとこもあるけど違うという状態になってしまっただけなんじゃないか。

そして、各宗教が様々な解釈と実践法で違う発展をしてしまった主な理由は、宇宙の真実がそもそも、言語、絵画、例え話など、人間にできうる表現方法を最大限に駆使しても人から人へと100%伝えるのが不可能なものだったからなんじゃないか。

たぶん、宇宙の真実の究極エッセンスみたいなのは「実感する」とか「(もともと魂レベルで知っていたことを)ハッと思い出す」みたいな、言語道断で圧倒的な悟りのプロセスでしか知ることができないんだと思う。

だから、自分が悟ったとしても、それを簡単に人に伝えることはできず、こういう修行をしてみなさい程度のことしか言えない*1

さらに言えば、言語や絵画や例え話などを使って伝えられる部分を伝えるにしても、相手が理解して実践できるよう伝えるためには相手の教養や人生経験のレベルに合わせるしかなく、大幅な簡略化が強いられることが多いのではないか。だから「このレベルの相手を悟らせるのは不可能だ、でもせめて正しい方向性とその方向性を維持できるような簡単な実践法を教えたい」となると、「マントラ唱えとけばオッケー」とか「徳積んどけばヨシ」みたいなことになってしまうのではないか。

でも、わかりやすく薄めようとすると本質が伝わらなくなってしまうし、誤解が生じたりする。誤解が誤解を呼んで、普通に考えたらちょっとおかしい教えでも頑なに信じる人が出てきてしまったりする。

あと、教会であれ寺であれ、組織化が進むと、宗教本来の目的以外に組織の存続という目的がどうしても出てきてしまう。だから、組織の存続という文脈で宗教の権威付けや利益化が進むし、そうすると宗教はそのためのツールと化してしまいがちだし、ツールに成り下がった宗教は、使用者の都合にあわせて教えが曲げられていくようになる。

宗教がもともとの意図に反してさまざまな問題を引き起こしてきた理由はここにあるんじゃないか。もともとの意図とは真逆のものと化してしまっているケースがあるのはこのせいなんじゃないか。

あたしの個人的な観察では、宗教が本来の意味で人を救っているケースは少ないように見えるし、むしろ、諍いの元になったり、人のポテンシャルを制限してしまっているケースの方が多いように見える。

そういう意味では「宗教なんて胡散臭い、信用ならねぇ」というあたしの直感はたぶん当たっている。

でも、信念というか、自分にとっての真実というか、自分の芯のようなものを持つことはとてもとても大切なんだよね。なぜって思考は現実になるから。そして自分を持っていないと良い思考を生み出せないから。

そういう意味では、宇宙の真実を身をもって知る方法論として、宗教には有益な知見が詰まっているのではないか。

エッセンスを薄めすぎて意味がなくなっている教えや、宗教組織の存続ツールに成り下がっている実践法などの「ゴミ」を取り除いていったら、「お宝」があるんじゃないか。

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さすがにしないけど、「出家するのが一番手っ取り早いんだろうなぁ」という考えが頭をよぎるくらいは、深く勉強したい気持ちになっている。

まさか、自分が宗教を深く学びたいと思うようになるとは…

命なりけり。

 

*1:これはメンタリングをしていても感じる。こういうやり方をするとわかるよ、と伝えることはできても、実際に何がわかるのかは言葉では完全には説明しきれないし、相手が実践してくれなかったら永遠に伝わらない。