役に立つかは別として

頭の中にあるゴチャゴチャを出しとけばスッキリするかも

心のあり方と鬱

昨日こういうツイートしたんだけど、

その後、元ツイートのリプ欄見てたら「この話は『鬱は甘え、気持ちの持ちようで治る』とどう違うのか」 みたいなコメントがあって、思ったことがあったから書いとく。

まず1つ断っておくと、あたしは鬱病を経験したことがない。当然、鬱病が実際にどんなものなのかはわからない。でも、あたしなりに理解している別の視点から書く。

 

「鬱は甘え、気持ちの持ちようで治る」というのは正しくない。

あたしは内分泌系の病気にかかったことがある。だから、ホルモンが異常になるとどうなるのかは自分の経験で知ってるけど、あれは気持ちの持ちようでどうにかできるものじゃない。

ホルモンと脳内の神経伝達物質は微妙に違うけど、細胞に刺激を与えて体をコントロールするホルモンと、脳内の神経に刺激を与えて脳の働きをコントロールする脳内の神経伝達物質は、この文脈では同じと言っていいと思う。

だから、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れている鬱状態の人が、その状態を自分の気持ちの持ちようでどうにかするのは無理。

また、それとは別に、鬱のせいで十分に睡眠が取れてないとか、きちんとした食生活を送れてないとか、そういう副次的な状況もあるよね。そのせいで、普通の人が普通にできることが鬱の人にはできないということもある。

あたしは自分のワンコの介護をしてたときほとんど眠れなかったから、眠っていないとどんなに精神状態がおかしくなるかは経験している。そこから言えるのは、ああいう状態で「気持ちの持ちようを変えろ」と言われても無理ということ。あれは気持ちの持ちようで精神状態を治せるかとかいう議論以前の問題。

それに「気持ちの持ちよう」っていう「ポジティブに考えればいい」的な考え方自体もそもそもちょっと違うと思う。

 

だけど、「気持ちの持ちよう」とかいう表面的なことじゃなくて、根本的な心のあり方を変えることで鬱を治したり、鬱を予防したりすることは可能か?と聞かれたら、可能だとあたしは言いたい。

なぜかと言うと、心のあり方と体と思考は繋がっているから。

例えば、あるお家の前を通ったらいきなり大きな犬に吠えられてすごく怖い思いをしてドキドキが止まらなかったという人でも、「あの犬はちゃんと繋がれてるから絶対大丈夫」と認識したあとなら、同じ家の前を通って同じ犬に吠えられてもドキドキしないはず。

これはかなり単純な例だけど、「人生の困難に立ち向かう」とか「新しいことにチャレンジする」みたいなレベルでも、心のあり方が健康やパフォーマンス、そして思考に影響する例はたくさんある。

個人的には、自分の心に従うと人生に対する見方が変わることも体験している。良い心の状態だと自分が求めていることを感知しやすくなり、自分が求めていることがわかったらそれを可能にする思考を求められるようになる。

だから、ツイートした漫画みたいな治り方は実際にあり得ると思う。

 

となると、じゃあなんで鬱の人みんなが完治しないんだ?って話になると思うんだけど、これは「心と体の繋がりのコントロールはそんな簡単なものではなく、人には得手不得手があるから」ということなんじゃないかと思う。

「健康な人間なら誰でもトレーニングすればオリンピックに出られる」というわけではないのと同じ。

神経伝達物質の乱れや睡眠不足でそもそも気持ちの持ちようをどうこうできるレベルじゃない人というのは、病気や怪我などでそもそもオリンピックトレーニングなんてできない人のようなもの。

そして、健康でも普通の人はちょっと練習したくらいでオリンピック選手にはなれないのと同じで、気持ちの持ちようをどうこうできるレベルまで回復した人であっても、ちょっと練習したくらいでは誰でも鬱を治すレベルで心と体の繋がりをコントロールできるようにはなったりしないんだと思う。

あたしはメンタリングでいろんな人に心のあり方のアドバイスをしてる経験から、実際にアドバイスを理解して実践するところまでたどり着くまでのスピードは本当に人それぞれだと断言できる。もしかするとあれは単なる得手不得手だけじゃなくて、生い立ちとか人生経験とかも関係してるのかもしれない。

 

とにかく。心と思考と体は繋がっている。完全ではないかもしれないけど。

 

 

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