もう2021年も残り少なくなってきたから、なんとなく今年を振り返ったりしてるんだけど、まだコロナ終わんないのかよ!感がすごい。
まあ、コロナが本当に終わって以前の生活に戻ることはもうないんだろうとは思う。どっちかって言うと、強制変更された「通常」をどう拡大していくかって方向に行くんだろう。実際、世界は今日も回っている。
でも、個人的には海外に行けない*1状態が辛くて、やっぱり「まだ終わんないのかよ!」と思ってしまう。
だって、もうほぼ2年だよ、この状態。2020年の2月上旬にギリギリセーフでベトナムに行ったきり、海外はどこにも行けてない。
……だけど。
今振り返ると、この「やりたいことができなかった期間」の意義は多大だったと認めざるを得ない。
なんでって「いつかやらなくちゃいけないけれど、乗り気がしなくて先延ばししてる案件」っていうのが劇的に片付いた期間でもあったから。
一番大きかったのは、伯母が亡くなったあとずっと放置してた空き家の解体。家に残ってたものを整理するだけでもものすごい時間と労力を要したんだけど、なるべく捨てずにいろんな人に貰ってもらう手配ができたし、解体も解体後の利用も納得できる形でできた。
この案件が完全に片付いたときの安堵感と言ったら!!
やりたくないことでもきちんと丁寧に処理したという満足感と言ったら!!
伯母の家はあたしの名義じゃないし、はっきり言ってあたしの責任ではなかったんだけど、家族内でこの仕事に対応できるのは物理的にも能力的にもあたししかいなかった。だから、まじで「やりたくなければどれだけでも先延ばしできるが、めちゃくちゃ心の重荷になる」っていう案件だったんだよね。
実際、コロナがなくて好きなことして遊べる状態だったら、おそらく今も先延ばしされてて心の重荷になってたと思う。
同じことは実家の片付けやリフォームに関しても言える。
父の遺品整理も終わったし、その他諸々のモノの整理もたぶん7~8割くらい終わった。
古くて寒かったお風呂もリフォームしたし、古くてガタガタしてた玄関ドアも新調したし、すきま風が入ってた寝室の窓もリフォームして二重にした。
「ああ、これいつかどうにかしなくちゃなぁ…」と日々思う状態って、そう思わなくてよくなって初めて、いかに心のスペースをとっていたのかわかる。これは大きな学びだった。
コロナがなかったら、この辺の案件はほぼ片付いていなかっただろうし、そういう案件を片付けることと心の関係についての学びも全くなかっただろう。
やりたいことができない不自由にはある種の有効性があるのもわかった。
こう考えると、コロナがもたらした時間はあたしには必要なものだった。絶対。
とても感慨深い。
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*1:厳密には行けるけど、ハードルが高すぎる。特に帰国時の日本入国のハードルが高い。