乗り物の話のときはバスや列車の話ばかりだったけど、
スリランカではトゥクトゥクにも乗った。何回も。
どこに行ってもうじゃうじゃいてすぐに捕まえられるから、ホテル⇔バス停や駅、ホテル⇔観光スポットが徒歩距離じゃないときにめちゃくちゃ便利だった。アヌラーダプラでは遺跡群を巡るのにチャーターもしたし。
そんなトゥクトゥクなんだけど、最初の数回はイヤな思いもした。
客引き行為がしつこいし*1、一旦乗ると自分は貧しいとか子供が何人いるとか、そういう哀れみをそそることを延々聞かされるから。
一応彼らの名誉のために言っておくと、ぼられたことは1回もなかった*2。嘘もついてないと思うし、本当に稼ぐため必死なんだろうと思う。だから結局はチップを多めに上乗せしてあげたけど、楽しい旅行中にたかられた感が拭えなくて気分が良くなかった。
そんなこんなでポロンナルワまで行ったとき、ベルギー人の女性に会って、晩ごはんを一緒に食べた。それで、お互いの旅について話していた流れで「トゥクトゥクってこういうのがイヤじゃない?」と言ったら、自分はそんな目にあったことがないと驚かれた。え!?
で、この差はなんだろうねとしばらく話し合ったあと、
「あー、これはあたしの見かけが…」「あんたの見かけが…」
日本人だからだね…
と意見が一致した。
彼女によると、日本人はノーと言わないイメージがあるからしつこくたかられるけど、自分はケチで有名なオランダ人*3に似た見かけだから、ほとんどトゥクトゥクにも声をかけられないし、かけられても1回ノーと言えばすぐ去っていく、ということだった。
そうか……。確かに「日本人?」って必ずどこかのタイミングで聞かれてたんだよ。でも日本人がターゲットにされてるって意識がなかったから素直に「うん」って答えてたんだよ。
なんだよ、も~💢
てことで、この学びがあったポロンナルワ以降は、トゥクトゥクやその他の客引き・物売りに「日本人?」と聞かれたら「ん?アメリカ人だよ?」ととぼけることにした。
そしたら!
しつこくされないんである。日本人だと認めたときとは態度が全く違うんである。
日本人だと認めると「日本人大好き、日本人みんな優しい」とか言って延々喋ってくるのに、アメリカ人だと言うと「え?あ、そうなの……」で話が終わる。1人だけなぜか「アメリカ……オバマ?」と返してきた人がいたけど、「今もオバマだったら良かったんだけどねー」と返したら会話はそこで終わった。
なんすか、このあからさまな違いは?笑
スリランカ人の日本人に対する認識もアレだけど、アメリカ人は一体何だと思われてるんだ。
それにしても「海外旅行中に日本人と認識されて困る問題」は結構奥が深い。
この一件については日本に戻ってからもなんとなく考えていたんだけど、スリランカの場合、「日本人はノーと言わないと思われている」だけじゃない気がする。
なんでかと言うと、何度かスリランカ人が「日本人はみんな優しい」と言うのを聞いたけど、お世辞じゃなくて本当にそう思ってるようにしか聞こえなかったから。
シギリヤロックに併設されてる博物館はJICAの支援を受けて開館してるし、スリランカではなぜか日本語ステッカーが貼ってある乗り物が多くあるし、あたしが知らないだけで、実は日本はスリランカ人に感謝されることをいろいろしてきてるんじゃないか。だから、本当に貧しい(けど腹黒くはない)スリランカ人は、日本人なら優しいしお金持ちだから助けてくれると思って寄ってくるだけなんじゃないか。
トルコに行ったときも、日本人は明らかにターゲットにされていた。でもトルコの場合は本当に「日本人は気が弱いから買わざるを得ない状況に追い込めばカモれると思われている」という感じだった。いかに大勢の観光客の中から日本人を特定するかとか、いかに早い段階でカモ条件をチェックするかとか、効率的に日本人をカモる手法を日々考えてるんだろうなぁと妙に感心させられるところがあった。
だからトルコでは心底「日本人、もう少しナメられないようになろうよ…」と思ったし、スリランカでもポロンナルワで同じことを思ったんだけど、改めて考えるとやっぱりスリランカはそういうことじゃない気がする。
とは言え、スリランカでも困ったのは同じだった。寄付とか人助けとかはむしろしたいと普段から思ってるけど、遊び歩いてるときにそういうニーズを突きつけられると楽しい気持ちが萎えるもんね…。
見かけが日本人ってムズいな……*4。まあ他の見かけでもまた別のステレオタイプに直面するんだろうけど。