役に立つかは別として

頭の中にあるゴチャゴチャを出しとけばスッキリするかも

全然グッとこない世界2.0

ちょっと前に、この本を読んだ。

日本ではメタバースってどう見られてるんだろう的な、軽い気持ちで手に取った。佐藤さんはどんな明るい未来を思い描いているんだろう的な。

でも、結果は、日本ってみんなメタバースのことを佐藤さんのような視点で見てるんだろうか?そうだとしたら、それでいいんだろうか?という感想になってしまった。

……ので、ちょっとメモっておく。

「世界2.0」は、超ざっくりまとめると

  • 宇宙開発や量子コンピュータなどの分野ではもう勝てそうにないが、コンテンツ大国である日本はメタバースならまだ勝てる
  • メタバースとは仮想空間に理想の世界を創り出すことであり、情報の民主化や金融の民主化に続く「神の民主化」である
  • 仮想空間は無限なため領土のような問題がなく、また無限の平行世界を構築できるため、自分の思想に合う世界を選んで(=自分と合わない人を避けて)争いなく暮らせる
  • 現実の自分の身体特徴に不満があってもアバターは理想形に設定できるし、なんならアバターを複数作って複数の世界を行き来することもできる

という理論のもと、世界を創造するための世界の理解の仕方や、メタバースの視空間を技術的にどう創っていくかや、生態系をどういう戦略で創っていくかなどの議論をしている本だった。

メタバースで現実世界のコピーを作って都市開発のシミュレーションに使うとか、応用の話などもしているし、全部が全部「新しく自分で世界を創造する」という思想的な話ではないんだけど。

でも。

神の民主化?

自分の思想に合う世界?

複数の理想形の自分?

できるという前提で佐藤さんは話を進めてるから、メタバースで本当にこの辺のことを理想通りの形で実現できるのかについては置いておく。でもそれにしても、人はそれで本当に幸せになるんだろうか?

①自分の嗜好や思想に合わないものは捨てて、②新しく自分の理想に合うものを作り、③なんなら複数使い分ける、という前提には、いろんな問題が含まれている気がする。

①自分の嗜好や思想に合わないものは捨てる

人は、自分と違う嗜好や思想との葛藤みたいなものを通して、自分を知ったり多様な人間関係を築いたりして、その結果成長していくものなんじゃないかと思う。

近年、SNSとかの影響でお互いが自分の考えを裏付ける情報しか見なくなったり、フェイクニュースが真実と受け止められたりで、話し合いをしても到底わかりあえないというパターンが増加しているというのは事実だと思う。あたしもそういうのはどう対応していいのかわかんなくて困っている。

だから、そういう背景から「もう合わない人や環境は捨てるしかない」という結論に至る人がいたとしたら、その気持ちはとても良くわかる。もしかすると、本当に決別するしかないのかもしれない。

でも、メタバースという仮想逃げ場を作っても、実際には人が地球をシェアしているのは(そして将来、月とか火星とかをシェアするようになっても)変わらないから、根本的には逃げられないし、そういう意味では問題を無視する分、事態は悪化するんじゃないか。

そして、嗜好や思想の多様性がない場所で人は精神的に成長しなくなり、余計に実世界に影響するんじゃないか。

②新しく自分の理想に合うものを作る

とりあえず日本に限定して言うと、個人的には「自分の理想を持ち、それを追い求めて世界まで作っちゃうことができるレベルの思想力や実行力を持っている若者」はとても少ないと思っている。今の選挙投票率が多くを語っている。

だから、新しく自分の理想に合うものを作る能力がある一握りの人が作って、あとは自分の意見やビジョンがない大衆がそこに行くって形になると思うんだけど、そういう自分の意見も責任感もない大衆がどっと押し寄せてきたとき、理想郷を成長させ維持できるんだろうか。

実世界が「高齢者たちが死に絶えないとどうにもならんやろ感」を醸し出しているのはわかるし、そういう意味では高齢者たちが死に絶えるのを待たずにリブートする方向性に行きたい気持ちもわかる。

でも、社会は社会の構成員全員が作るものである限り、社会の構成員の全体的レベルが低いままでは、リブートしたってさほど変わらないんじゃないか。

まあ、審査に合格しないと入れないような仕組みでメタバースを作ればいいんだけど、そうするとホントに特定の人間しかいない世界になり、①の問題が出てくる。

③なんなら複数使い分ける

今でもSNSのアカウントを複数、いろいろなプラットフォームで持ってる人はいるし、なんなら1つのプラットフォームで複数のアカウントを持ってる人もいるわけだから、複数のメタバースを行き来する人が現れても全然不思議ではない。

でも、維持するのがしんどそう。

なんの科学的根拠もないんだけど、SNSのアカウントって多い人の方が幸せじゃなさそうな気がする。あたしもTwitterのアカウントをアメリカのニュースの発信用とその他個人的な趣味用を分けてる人だから人のこと言えないけど、極端な話、SNSなんて使ってないとか、SNSはリアルな知り合いとやり取りするツールでしかないっていう、リアルな世界だけで足りてる人が一番幸せなんじゃないかと思う。

身体的問題

あたし自身は、目がすでに長時間のPCやスマホに耐えられないくらい劣化してるから、ゴーグルつけてメタバース参入なんて身体的にできそうにないと思っている。目が死ぬ。

ちなみに、あたしはPC使い出したのは大学入ってから、スマホは社会人になってかなり経ってからだし、ゲームもしない。だから、生まれた時からスマホがあってずっとスマホやタブレットを使ってきていて、ゲームもたくさんしている若者たちほど目を使ってない。それでもこれだよ?

メタバースが普及したら、若い人たちの目は耐えられるんだろうか。

あと、PCやゲームのせいでずっと座ってる時間が激増してる状態もね、若い人は今は若いから平気なだけで、あとからどっと来る気がして仕方ないんだよね。

メタバースでその場足踏み型とか、下手すると映画「Matrix」的なベッドに寝たまま型の活動形態が普及したとき、人の身体と健康はどうなるんだろう?とも思ったりする。

目もその他の身体部品も、人工化して対応しちゃうんだろうか。目はすでに白内障手術とかで人工レンズ入れるのが普通になってるもんね…。

 

最先端技術の話って、大抵はできなかったことができる便利な未来っていうポジティブな印象で聞けるんだけど、今回の話は明るい未来を想像するどころか、その方向性というか思想に一抹の不安を感じるものだった。

実際のところ、どうなるんだろうね。

 

 

 

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