ちょっと前の食道憩室の話、
あのあと、水を一気飲みするという普段はしないことを何回か数日に渡ってしていたら、全部取れずに残っていた残渣がほぼ落ちたようで、喉の異物感はようやくなくなった。まだ違和感はあるけど、喉を触っても痛くなくなったし、かなり楽になった。
はぁぁ~嬉しい。
違和感は憩室自体から来ている気がする。だから、今後改善するのか、自分が慣れて気にならなくなるのか、ずっと続いて気になるのかは良くわからない。でも、とりあえず感謝しかない。前よりましになってるから。
それにしても、人ってものは、失ってからしかそれまで当たり前にあったものに感謝できない性分なんだなあと自分に呆れる。
あと、11月末時点では「全部徹底的に噛んでから食べようとするといつも通りの量が食べられない」とぼやいていたけど、あれから毎日練習したらそれなりに食べられるようになってきて、人間って切羽詰まると必死にやるんだなあと、自分の現金さにも呆れている。
しっかり噛んで食べる方が消化器系に優しくて体に良いということは、もちろん子供の頃から知っていた。でも、ちゃんと実践しようとしたことなんて人生で数回くらいしかなかったと思うし、その数回だってその場限りの話ですぐ忘れていた。
それが、しっかり噛まないとすぐに喉が詰まるという状態になったら、即、毎食必死に噛むようになったんだもんね。この現金さよ。
実際はまだ無意識にできるほどまでは習慣化してないから、他のことに気を取られているとたまに「あっ、やばい、まだダメなのに飲み込んじゃった!」という事態になるんだけど、少なくともその場で気づいてすぐに飲み物で流せるくらいにはなっている。
我ながらすごい。
実は以前、左手も利き手のように自由に使えるようになりたいと思って、歯磨きを左手でする練習をしていたことがあった。
でも、そもそも左手を利き手のように使えないと困るような状況じゃなかったから、練習自体をしょっちゅう忘れていた。そして、覚えていて練習しても、左手できれいに歯を磨くのは難しくて毎回右手で磨き直しする羽目になるから、辛抱強く練習できない日が多かった。結局、練習はやめてしまった。
そしてあたしは、今でも左手を利き手のように使える状態に全く近づいていない。
でもこれ、例えば右手が使えなくなったとかいう切羽詰まった状況だったら、必死に練習してマスターしてたはず。
だからさ、そういうことなんだと思う。
必死になる理由があることをすれば、大抵のことはできるようになるんよ。
でも逆に、そういう理由を見いだせないことは、大抵マスターできない。
しかし、前者に繋がる「好きなことをしろ」とか「大志を抱け」みたいなアドバイスはよく聞くけど、後者に繋がる「好きになれないことはやめろ」とか「自分にとってどうでもいいことはやめろ」っていうアドバイスはあんまり聞かないよね。ホントはこっちが先なんじゃないかと思うけど。
必死になれないことはやめて、必死になれることをする、本当はこれだけで成功は半分約束されたようなものなんじゃないか。